デザインサイトのうつわ展でカタログを買った。
殷の甲骨文字から漢字の器から琵琶湖の歌からヴィーナスから
西洋の象徴体系から能動原理から受容原理から(ところで
能動の反語は受動ではないか?)
「静かな工房で危険な旅をしていたのだ」から縄文土器から
中国夏王朝から景徳鎮、
ネイティブ・アメリカンの口承詩から「瓶は智慧ある者の
別名」(ところでこれの原典は何だろう)から、、、
盛り沢山の引用知識。圧倒され、、、、そして
空しくなってしまった。
この人はルーシー・リーについてご存知だったのだろうか。
それとも時間がなくて書物や引用できる知識を駆使した
のだろうか。
しかも「私は男性によって創られた」を恋情と言い換えている。
これは間違いだ。
それに発音。decade はどうしたって de'keid でしょう。
ディケードとは言いません。
森山氏はデザインに関して豊富な経験と知識をお持ちの方だ。
けれどルーシー・リーについて語るにはふさわしくない。または
十分にリーを理解していない。上っ面の言葉、知識の羅列に
感じられてしまう。
私の独断と偏見によれば
ルーシー・リーとその作品はこのエッセイの対極に在る。
sympathy を装って書かれているがその実自分の書いている文に
対するsympathy でしかない。
何をこの人は言いたかったのだろう。




