Tuesday, February 03, 2009

ハゲワシと少女、アフリカにて

14,5年も前になるだろうか。アフリカスーダンで女の子が くずれるようにしゃがんでいる。その後ろに大きなハゲワシが 襲いかかろうとしている写真がニューヨークタイムズに発表された。 

 カメラマンはピュリッアー賞を獲得し一躍有名になったが 報道か救命か、何故少女を助けなかったかと非難され 後に自殺した、と記憶している。

誰もがその後少女は どうなったか、ハゲワシの餌食になったのでは、という 想像を誘ったからだ。 長いことあの真相はどうだったのだろうか、カメラマンは何故 自殺したのだろう、と心にひっかかっていた。 

 同じ思いを持ち続けた人がいたとみえてこの前後のいきさつを 紹介しているブログを見つけた。Ameharaと名乗る人の 「あるカメラマンの死」という引用テクストだ。 『絵はがきにされた少年』 藤原章生 集英社 「第一章 あるカメラマンの死」から、とある。 

 それによると、この写真の撮影時、母親はそばにいて 国連の配給食料を得ることに夢中になっていたらしい。 荒野の真ん中にぽつんと少女と鷲がいると思いこんでいたけれど まわりには人が沢山いたという。

そしてこの写真が撮られたあと 少女は立ち上がって歩き出したという。 この写真を撮ったケビン・カーターの自殺の真相はわからない。 けれど、ピュリッアー賞を取った3ヶ月後、彼はヨハネスブルグ 郊外で車に排ガスを引き込んで自殺した。

 遺書には友人の名と別れた妻の名、電話番号、そして 一緒に撮影現場に行った彼の友人ジョアオ・シルバを指して 「言葉に出来ないほど彼が好きだ」と小さな字で記されていた いたという。

 彼自身の告白が残されている。 「この(写真を撮った)後、とてもすさんだ気持ちになり、 複雑な感情が沸き起った。フォト・ジャ-ナリストとして ものすごい写真を撮影したと感じていた。この写真はきっと 多くの人にインパクトを与えると確信した。 写真を撮った瞬間はとても気持ちが高ぶっていたが、 少女が歩き始めると、また、あんたんたる気持ちになった。

 私 は祈りたいと思った。神様に話を聞いて欲しかった。 このような場所から私を連れ出し、人生を変えてくれるようにと。

 木陰まで行き、泣き始めた。、、、、」 (NHK教育「メディアは今―人命か報道優先か・ピュリツアー賞・ 写真論争―」94・6・30放送) 「Amehare」さん引用集より。 

 このテクストは2008年12月13日付になっている。何とも15年も経って 同じ頃に同じようなことに関心を持って掘り起こしたひとがいるのだ。 

『絵はがきにされた少年』 藤原章生 集英社 「第一章 あるカメラマンの死」を私も読んでみよう。 これは報道カメラマンの倫理を問う論争にも繋がった センセーショナルな写真であり、またそのカメラマンの死が それを一層印象を強くした出来事だった。

 けれどやはりこれも今橋映子氏の指摘した「(美しい)棘」と言える のではないか。背景を理解しないままにカメラマンを非難した人々も そしてこの今こうやって15年を経てあの事件の真相、 写真の背景を知りたいと思う私も、あのショッキングな写真のもつ 棘故なのだと思う。

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