Sunday, May 16, 2021

ヘミングウェイ 武器よさらば




ヘミングウェイの『武器よさらば』を、光文社古典新訳文庫の金原瑞人訳で読んだ。

最初からひどく戸惑った。
主人公のフレデリック・ヘンリーに自分のことを「おれ」と言わせている。

これはどうしたって「ぼく」だろう。そのことだけで高見浩訳に軍配が上がる。
主人公のたたずまい、仄めかされる過去、恋人との出会い方、雰囲気。それらすべては「ぼく」「ぼくら」がごく自然に響く。

それらから見えてくる姿は「おれ」では決してない。戦場の荒くれ兵士のなかにあっても
全体を通すとやはり「ぼく」だ。

ただ、金原訳が翻訳として極めて優れているのは最終章で妻キャサリンが亡くなったあと、フレデリックが一人病院を去る描写だ。

高見訳では
しばらくして廊下に出ると、僕は病院を後にし、雨の中を歩いてホテルにもどった。

同じ箇所を金原訳は
しばらくして、部屋を出た。病院を後にすると、ホテルまで歩いてもどった。雨が降っていた。

これは後から訳した者がどうしたって恩恵を受ける、ということがあるだろう。先訳を参考にできるからだ。それにしても見事な終わらせ方だ。主人公が妻の死に呆然としながら雨の中を一人歩く姿に、最後の一行「雨が降っていた」がすべてを語る。

なかみについてはまた別の機会に記したい。

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