Saturday, March 07, 2009

ルーシー・リーについて森山明子氏エッセイ

デザインサイトのうつわ展でカタログを買った。
アポロ11号からスーパーカミオカンデからミノス文明から
殷の甲骨文字から漢字の器から琵琶湖の歌からヴィーナスから
西洋の象徴体系から能動原理から受容原理から(ところで
能動の反語は受動ではないか?)

「静かな工房で危険な旅をしていたのだ」から縄文土器から
中国夏王朝から景徳鎮、
ネイティブ・アメリカンの口承詩から「瓶は智慧ある者の
別名」(ところでこれの原典は何だろう)から、、、

盛り沢山の引用知識。圧倒され、、、、そして
空しくなってしまった。 

この人はルーシー・リーについてご存知だったのだろうか。
それとも時間がなくて書物や引用できる知識を駆使した
のだろうか。

しかも「私は男性によって創られた」を恋情と言い換えている。
これは間違いだ。
それに発音。decade はどうしたって de'keid でしょう。
ディケードとは言いません。

森山氏はデザインに関して豊富な経験と知識をお持ちの方だ。
けれどルーシー・リーについて語るにはふさわしくない。または
十分にリーを理解していない。上っ面の言葉、知識の羅列に
感じられてしまう。

私の独断と偏見によれば
ルーシー・リーとその作品はこのエッセイの対極に在る。

sympathy を装って書かれているがその実自分の書いている文に
対するsympathy でしかない。

何をこの人は言いたかったのだろう。

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