私の見たいのはやっぱりルーシー・リー。1989年の草月会館
と同じ安藤忠雄氏の会場構成で水に浮かぶ作品群は限りなく
静かで美しい。でも本当は当時と異なる展示を期待していたので
(どんな見せ方をするのだろう、と)ちょっと残念。
けれどやはりルーシー・リーの器はとても水に馴染む。
うつわの遠景とシルエットが心に刻まれる。
ふと、これがジェニファー・リーでなくて
ハンス・コパーのうつわだったら、と想像してみる。
やっぱりどうしたって、ルーシー・リーとハンス・コパーでしょう。
対峙させるなら。
対峙でなく、共にならべるとしたらなお一層ハンス・コパーでしょう。
どんなに美しく豊かな空間が生まれることだろう、と思う。
展示の中のルーシー・リーの器に、ハンス・コパーかと思わず
目をこらした作品があった。表情といい、形といい、テクスチャーが
ハンス・コパーのサックフォームを思わせる。
こういう作品も
あったんだ、とあらためて思う。
ルーシー・リー作品のコレクター、デイビッド・アッテンボロー卿が、
(今も)オークションなどで、かつて見たことのない釉薬、形の作品に
出会う。
それでいて見た瞬間にまがいもなくそれがルーシー・リーの
手になる物だとわかる。
と言っている。
直感する、と言って良いだろう。一瞬でそれが彼女の
作品だ、と感じてしまう。
心に入り込む。理屈ではない。
20世紀に生まれてルーシー・リーとハンス・コパールーの作品に
出会えた幸せ。それを見ることのできる幸せ。
私はコレクターではないし、所有したいとは思わない。もちろん
今は大変高価な作品だから買えるわけもないけれど。ただ、
もし豊かであったとしても、買って飾って見ていたいという
欲はほとんどない(全くない、と言わないところが自分でも
不本意なのだけど)。
本を開いて、ルーシー・リーの作品を見る。ハンス・コパーの
キクラデス・フォルムを見る。床に寝そべってパラパラと
本をめくる時間の幸せ。
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