Monday, February 23, 2009

金子光晴の「洗面器」

放浪の詩人、と言われる金子光晴にこんな詩がある。  

洗面器のなかの  さびしい音よ。  
くれてゆく岬(タンジョン)の  雨の碇泊(とまり)。  
ゆれて、  傾いて、  疲れたこころに  
いつまでもはなれぬひびきよ。  
人の生のつづくかぎり  耳よ。おぬしは聴くべし。  
洗面器のなかの  音のさびしさを。 

 寂しくうらぶれているのに、どこか甘美な響きがする。 思わず繰り返したくなる言葉のリズム。 寂しいけれど甘いにおい。 暗いけれど宵闇ではなく夜明け。 暗い海の波と港の人間の生活のにおい。ジャワの。 詩の前に括弧書きがある。 

 「僕は長年のあひだ、洗面器といふうつはは、
 僕たちが顔や手を洗ふのに湯、水を入れるものとばかり思って いた。
ところが、、、(中略)、、、、などを煮込んだ カレー汁をなみなみとたたへて、、
(中略)、、、、その 同じ洗面器にまたがって広東の 女たちは、、
(中略)、、、、しゃぼりしゃぼりとさびしい音を 立てて尿(いばり)をする。」 

 これを読んで突然目の前に人間の営みの匂いや音や暗闇が 見えてくる気がする。

Saturday, February 14, 2009

三宅一生氏「うつわ展」

21_21ホームページより 21_21のデザインサイトでルーシー・リー、ジェニファー・リー、 木工のエルンスト・ガンペールの3人展が開かれている。 

 私の見たいのはやっぱりルーシー・リー。1989年の草月会館 と同じ安藤忠雄氏の会場構成で水に浮かぶ作品群は限りなく 静かで美しい。でも本当は当時と異なる展示を期待していたので (どんな見せ方をするのだろう、と)ちょっと残念。

 けれどやはりルーシー・リーの器はとても水に馴染む。 うつわの遠景とシルエットが心に刻まれる。 ふと、これがジェニファー・リーでなくて ハンス・コパーのうつわだったら、と想像してみる。 やっぱりどうしたって、ルーシー・リーとハンス・コパーでしょう。 対峙させるなら。

 対峙でなく、共にならべるとしたらなお一層ハンス・コパーでしょう。 どんなに美しく豊かな空間が生まれることだろう、と思う。 展示の中のルーシー・リーの器に、ハンス・コパーかと思わず 目をこらした作品があった。表情といい、形といい、テクスチャーが ハンス・コパーのサックフォームを思わせる。

こういう作品も あったんだ、とあらためて思う。 ルーシー・リー作品のコレクター、デイビッド・アッテンボロー卿が、 

 (今も)オークションなどで、かつて見たことのない釉薬、形の作品に 出会う。
それでいて見た瞬間にまがいもなくそれがルーシー・リーの 手になる物だとわかる。

 と言っている。

直感する、と言って良いだろう。一瞬でそれが彼女の 作品だ、と感じてしまう。
心に入り込む。理屈ではない。 20世紀に生まれてルーシー・リーとハンス・コパールーの作品に 出会えた幸せ。それを見ることのできる幸せ。 

 私はコレクターではないし、所有したいとは思わない。もちろん 今は大変高価な作品だから買えるわけもないけれど。ただ、 もし豊かであったとしても、買って飾って見ていたいという 欲はほとんどない(全くない、と言わないところが自分でも 不本意なのだけど)。

 本を開いて、ルーシー・リーの作品を見る。ハンス・コパーの キクラデス・フォルムを見る。床に寝そべってパラパラと 本をめくる時間の幸せ。  

Wednesday, February 04, 2009

報道写真考「ふたたび「少女とハゲワシ」

というか。私はこの少女とハゲワシの構図を美しいと思い、 そういう自分の捉え方に恐れおののいたのだ。

 カメラを捨てて何故少女を助けなかったか、というごくまっとうな 非難に、私もまた次元のことなる出来事のように 切迫感を持たないでいた。

少女が危険な状態であったらこの写真は なかっただろう、という漠然とした思いがあった。 

 ハゲワシの危険より、生涯の大半を 飢餓の状態で過ごしてきたであろう少女の 取り返せない時間を思った。

 そしてフォトグラファーが死んだという報道に、 非難の声と、さらに(私も含めた)もの言わぬ多数の人たちに 立ち向かえなかったケビン・カーターの繊細さを思った。

 「私 は祈りたいと思った。神様に話を聞いて欲しかった。 このような場所から私を連れ出し、 人生を変えてくれるようにと。」

という彼の告白は なんとまともで、なんと強烈に響くことだろう。

Tuesday, February 03, 2009

ハゲワシと少女、アフリカにて

14,5年も前になるだろうか。アフリカスーダンで女の子が くずれるようにしゃがんでいる。その後ろに大きなハゲワシが 襲いかかろうとしている写真がニューヨークタイムズに発表された。 

 カメラマンはピュリッアー賞を獲得し一躍有名になったが 報道か救命か、何故少女を助けなかったかと非難され 後に自殺した、と記憶している。

誰もがその後少女は どうなったか、ハゲワシの餌食になったのでは、という 想像を誘ったからだ。 長いことあの真相はどうだったのだろうか、カメラマンは何故 自殺したのだろう、と心にひっかかっていた。 

 同じ思いを持ち続けた人がいたとみえてこの前後のいきさつを 紹介しているブログを見つけた。Ameharaと名乗る人の 「あるカメラマンの死」という引用テクストだ。 『絵はがきにされた少年』 藤原章生 集英社 「第一章 あるカメラマンの死」から、とある。 

 それによると、この写真の撮影時、母親はそばにいて 国連の配給食料を得ることに夢中になっていたらしい。 荒野の真ん中にぽつんと少女と鷲がいると思いこんでいたけれど まわりには人が沢山いたという。

そしてこの写真が撮られたあと 少女は立ち上がって歩き出したという。 この写真を撮ったケビン・カーターの自殺の真相はわからない。 けれど、ピュリッアー賞を取った3ヶ月後、彼はヨハネスブルグ 郊外で車に排ガスを引き込んで自殺した。

 遺書には友人の名と別れた妻の名、電話番号、そして 一緒に撮影現場に行った彼の友人ジョアオ・シルバを指して 「言葉に出来ないほど彼が好きだ」と小さな字で記されていた いたという。

 彼自身の告白が残されている。 「この(写真を撮った)後、とてもすさんだ気持ちになり、 複雑な感情が沸き起った。フォト・ジャ-ナリストとして ものすごい写真を撮影したと感じていた。この写真はきっと 多くの人にインパクトを与えると確信した。 写真を撮った瞬間はとても気持ちが高ぶっていたが、 少女が歩き始めると、また、あんたんたる気持ちになった。

 私 は祈りたいと思った。神様に話を聞いて欲しかった。 このような場所から私を連れ出し、人生を変えてくれるようにと。

 木陰まで行き、泣き始めた。、、、、」 (NHK教育「メディアは今―人命か報道優先か・ピュリツアー賞・ 写真論争―」94・6・30放送) 「Amehare」さん引用集より。 

 このテクストは2008年12月13日付になっている。何とも15年も経って 同じ頃に同じようなことに関心を持って掘り起こしたひとがいるのだ。 

『絵はがきにされた少年』 藤原章生 集英社 「第一章 あるカメラマンの死」を私も読んでみよう。 これは報道カメラマンの倫理を問う論争にも繋がった センセーショナルな写真であり、またそのカメラマンの死が それを一層印象を強くした出来事だった。

 けれどやはりこれも今橋映子氏の指摘した「(美しい)棘」と言える のではないか。背景を理解しないままにカメラマンを非難した人々も そしてこの今こうやって15年を経てあの事件の真相、 写真の背景を知りたいと思う私も、あのショッキングな写真のもつ 棘故なのだと思う。

Monday, February 02, 2009

今橋映子著フォト・リテラシー

報道写真が好きだ。好きだけれど、魅せられるけれど何かがいつも 心にくすぶって重い澱のように残ったままでいる。

 魅せられる自分がいるのにそういう自分にうしろめたさを感じ 悲惨な現場を美しいと感じる自分に反発を感じていた。 それを言葉に出来ないでいた。 

 今橋映子はその著書、「フォト・リテラシー」の中で、彼女もまた スーザン・ソンタグの「他者への苦痛のまなざし」から言葉を 紡いでそれが何で何故なのかを解いてみせている。

 美しいと感じる自分に後ろめたさを見る自分。
その事に対して 写真は「美しい棘」に成り得る。

逆には優れた報道写真 ー決定的瞬間に限らず、
対象の選択と技法が、明確な 思考あるいは正確な取材に裏付けられ、
しかも対象への 共感を失わない写真 ーこそが、歴史と人間の様態を、
記憶の断片として定着し得るとすら言える。 

 という。

そしてそれが「思考の契機としての写真」を肯定する。 
であるなら、悲惨さに美を感じてうしろめたさを抱くことにすら 
意味があるということだろう。 

 なんとも深い思考に裏打ちされた写真の「読み方」でなんと 
優れた本だろう。 

 それにしても今橋映子さんってすごい才能だ。

みたびルーシー・リー展

3月13日からルーシー・リー展が開かれる。ミッドタウンの 21_21デザインミュージアムだ。

なんとタイムリーなことに テレビ東京の「美の巨人」でルーシー・リーを取り上げる という。もちろん三宅一生さんの一声だろう。

 驚くほど若い人たちがルーシー・リーの名前を知っている。 感性が合えば権威も歴史も関係ないという若い人特有の 柔軟さがルーシー・リーとその器をファッションと同じ感覚で 捕らえている。 

 この秋にはルーシー・リーと工房を共にし、後に工房を フルームに移してからも終生変わらない友情を分かち合った ハンス・コパーの展覧会も開かれるという。 

 来年もまた国立新美術館でルーシー・リー展が開かれるなど、 ルーシー・リー、ハンス・コパーがいかに人々を 惹きつけて止まないかをあらためて思う。 

 そうそう、銀座のみちばという懐石レストランでも身近に ルーシー・リー作品を見ることが出来る。新宿の京王デパート でも先週だったかルーシー・リー展をしていた。 

 ルーシー・リーという人の頑固な生き方は女性達に(というか 男性にも、かな)大きな勇気をくれる。ただひたすら 好きな物を創り続けることへの勇気。

 そしてルーシー・リーとハンス・コパーとの親愛は まるで自分にとってもひたすら大切な宝物のように思えてくる。

Thursday, August 14, 2008

Left Alone, Mal Waldron

ビリー・ホリデーが詩を書きマル・ウォルドロンがメロディーを 書いた曲。 

 Billie holiday / Mal Waldron 

Where's the love that's made to fill my heart? 
Where's the one from whom I'll never part? F
irst they hurt me, then desert me I'm left alone, all alone 

There's no house that I can call my home 
There's no place from which I'll never roam 
Town or city, it's a pity I'm left alone, all alone 

Seek and find they always say 
But up to now it's not that way 
Maybe fate has let him pass me by 
Or perhaps we'll meet before I die 
Hearts will open, but until then 
 I'm left alone, all alone 

この曲をビリー・ホリデーの声で聞きたかった。
もちろん ジャッキー・マクリーンのアルトサックスはしみじみと聞かせる。 
心が静かに静かに海の底へ沈み込んでいくような。 

ああ、暗い暗い、と思いながらこれを聞きたい気分の時もある。 
昔モダンジャズを教えてくれた人はコルトレーンの 「朝日のごとくさわやかに」 が好きだった。タイトルがいい。

Softly, as in a morning sunrise. 

 歌詞はアイロニーに満ちているけれど、タイトルだけは なんだか本当にさわやかに朝日が満ちてくる感じ。 

Softly as in a morning sunrise 
The light of love comes stealing Into a newborn day 
Flaming with all the glow of sunrise 
A burning kiss is sealing 
A vow that all betray 
 For the passions that thrill love 
And take you high to heaven 
Are the passions that kill love 
And lelt it fall to hell So ends the story ・・・・・・・・

Wednesday, October 31, 2007

ハンス・コパー



















日本語版「ハンス・コパー」表紙
 日本語版「ハンス・コパー」裏表紙
 




フランス語版「ハンス・コパー」表紙 フランス語版「ハンス・コパー」裏表紙

Hans Coper. ハンス・コパー、いうまでもなくハンス・コパーはイギリスの
陶芸作家。20世紀の3大巨匠に数えられる。あとの二人はルーシー・リーと
バーナード・リーチだ。

ハンス・コパーとルーシー・リーは共にナチスを逃れイギリスに亡命している。
ハンス・コパーはドイツから、ルーシー・リーはオーストリアから。

ロンドンのアルビオンミューズに小さな工房を構えたルーシー・リーのもとへ
仕事を求めてやってきたハンス・コパーが訪れる。それ以来ハンス・コパー
が亡くなる1981年まで二人はお互いに強い影響を与え会いながらそれぞれの
作品を作り続けた。

二人のまれにみる親密で長いパートナーシップは人々の関心を引きつけてきたが
それはまた別に書こう。今紹介したいのはハンス・コパーについての本だ。

ハンス・コパーについては陶芸家でもあるトニー・バークスが唯一ともいえる
伝記作品集「ハンス・コパー」と「ルーシー・リー」を著している。その
表紙デザインは、フランクフルトブックフェアで最も美しいとして賞を
獲得しているという。確かにシンプルで淡いブルーがかったバックに作品を
置いた透明感のある表紙で非常に美しい。

最新の英語版と同時に出版された日本語版「ハンス・コパー」は同じ
表紙で同じデザインだ。

ところが最近出版されたフランス語版を見てショックを受けた。オレンジの
フォントでタイトルを、また裏表紙もオレンジを使った大胆なデザインだ。
表紙はハンス・コパーの妻ジェイン・コパーの撮った、作品の写真をカット
している。

日本語版・英語版がシンプルで静寂を思わせる美しさの一方、フランス語版は
「動」と優れたデザイン力を感じさせる。しかも内容やハンス・コパーの
作品をきちんと理解したうえでデザイン構成がなされているとわかる。

ふーん、これがフランスなんだ、と感じた。日本語版・英語版の
「ハンス・コパー」は美しい。静かで凜としている。一方フランス語版は動だ。
大胆なデザインで見る人を惹きつける。
どちらもすばらしい。でもフランス語版はそのデザインによって完全に
「フランス語版」になっているという意味で一歩先をいっている気がする。

Sunday, September 16, 2007

桂 銀淑の声 - 「都会の天使たち」

何年かアメリカでくらして日本に帰ってきた頃。ふと聞こえてきた歌の声に 心がくぎづけになった。

ハスキーなというよりしゃがれているという表現の ほうがあたっているような太い女性の声。 かなり以前テレビではやったドラマの主題曲という。 なんとかユンシュクという韓国の歌手、と友人に教わり紀伊国屋の2階にある レコードショップへいく。 なんとかユンシュクという、、、と聞いたらすぐにその歌手のコーナーに 案内してくれる。

なんだ、聞けばすぐわかるくらい有名な歌手だったんだ。 「堀内孝雄ベスト・ソング集」デュエット:桂銀淑。 そう、この声だ。 演歌は歌詞が陳腐のうなり節。と思いこんでいた(はて、これは演歌では ないのだったか?)。まあ分類はどうでもいい。でも陳腐と思いこんでいた そんな種類の歌でこんな声に出会えた。 

 しかも歌詞までなかなかいい。 
 「瞳を閉じれば 幼い昔へ 誰でも帰れる せめて愛する人が 隣にいたら 夢の中まで 連れていけるはず、、、」 

 思わず引き込まれる声との出会いはほとんど瞬間的だ。 堀内孝雄の 
「この都会に 眠りの天使たちが」 に続いて 「遊びに疲れて」と彼女の声が聞こえるとき思わず全神経を研ぎ澄ましてしまう。 やはり心を震わせる声というのは受け手の生理的なものだろう。 

顔かたちや性格、しぐさ、笑い方、話し方、その人の持つ空気。 これらはたったひとつを取り上げてその人の全体を判断することはない。 けれど、声は瞬時に身体が拒絶したり受け入れたりする。 桂銀淑の声は心をとらえて離さない。もっと聞きたい、といつも思う。 さびれた声。しゃがれた声。低く太い声。 

「苦手なはずなのに例外」ではなく、彼女の声はまさに私が大好きな、 心を魅了してやまないハスキーボイスだ。

テレサ・テンの透明感あふれる声

高い声、細い声、いわゆるきれいな声、は苦手だ。 

私のベクトルの中で最も苦手なのは高く細い声。 
 パバロッティの声は「高い太い」で、苦手な中の例外だ。 彼の声は、私にとっては声そのものがそういった分類にあてはまらない 魅力にあふれる声質と言える。 

 テレサ・テンの声もベクトルでいえば苦手の部類なのだけれど、これも例外。 透明感にあふれている。苦手の最王手、森山なんとかというフォーク歌手の 声や姉妹で童謡を歌っていた歌手の高い声と決定的に違うのは声の質としか いいようがない。もちろん、私にとっては、ということだ。 

 テレサ・テンの声には味わいというか、透明感の中に ふと心をすくわれるような声質がある。ちらりと見せるだけなのだが、 「哀」を感じさせる声の色が発声の瞬間にある。

 でも彼女の歌の中には陳腐な歌詞もある。明らかに、男が女にこうあって 欲しいという願望から男の作詞家によって書かれたのだろうと 思うような。 

 「貴方の色にそまりたい、、」とか「貴方の胸できれいになれた、それだけで もう命さえいらないわ、、」とか。 

 こんな言葉を歌っていながら ことばのすみずみまでていねいに発音した実にきれいな発声をしているな と思いながら聞いている。

ビリー・ホリデイの歌・詩

I'll be seeing you. の訳を「貴方に会えるでしょう」 と書いた。

 直訳すれば「貴方を見かけるでしょう」「貴方を想像するでしょう」 となるだろう。

 けれど亡くなった(または戦争でもどらない)恋人を偲び、 思い出の場所場所で貴方を想像してしまう、そこに貴方を見る、 貴方を見かけるわ、、、。 やっぱり、会える、ではなく見る、かな。 

 「いつもの街角で、いつものあの小さなカフェで、 貴方を見かけるでしょう。 これからも。 そんな風に貴方を想うの。」

 I'll be seeing you In all the old familiar places、、、 

 ビリー・ホリデイの声と詩とメロディーとが 完璧に解け合って、おおげさに言えばひとつの時代を語っていると思う。

Friday, September 14, 2007

パバロッティとビリー・ホリデイ

パバロッティが亡くなった。 彼の声は「明るい、元気のでるような」と誰かが書いていたが、 私にとって彼の声は空を突き抜けてどこまでも届くような明瞭な、 けれど元気の出るようなというより心をゆさぶられるような、 というように響く。

 「明るい」というよりむしろ「哀愁をおびた」声に聞こえる。 声というのは個人にとって心地よく感じる、または心地よくない、 色のようなものがある。 私にとってはもともとテノールとソプラノはひどく苦手だけれど、 彼の声は別だ。声そのものがもつ深さというか声調ともいう響きに 魅せられる。 

 これは、千の風とかもてはやされているテノールとなんともかけ離れている。 千の、、が聞こえてくるとテレビのチャンネルを変えずにいられない。 その歌手が良い悪いではなく声に対する生理的なものだろうか。

 顔は変えることができても声質を変えることはほとんど出来ないだろう。 その意味で声は神に与えられた、本当の意味でのギフトだと思う。

 ビリー・ホリデイの声も本来なら好きな部類ではない。私にとっては あのキンキン声のどこが良いのかと思いかねないはずの声質なのだ。

最初に 聞いたとき、実際そう思った。I'll be seeing you. でも2度目に聞いたら、耳をそらすことが出来なくなった。 

その緊張感あふれる、それでいて退廃ムードに 満ちて半分投げ出しているような彼女の声、声調、声色、声質に ひきこまれる。本来なら好きな声ではなかったのに、と今でも思う。 けれど不思議だ。魅せられて聞く。 

 「あの懐かしい街角で  あの小さなカフェで  、、、、、   あなたに会えるでしょう  美しい夏の日々  すべてが明るく輝くなかで  あなたに会うでしょう」 

 おなじみの懐かしい場所で、 あの小さなカフェで 、、、in that small cafe、、、と 歌うところでいつも胸をつかれる。 

戦争に行った恋人を偲んでいるのだろうか、 ビリー・ホリデーの声は聞き手を深く詩の中に誘い込む。

 Sammy Fain / Irving Kahal 

 I'll be seeing you In all the old familiar places 
That this heart of mine embraces 
All day and through In that small cafe 
The park across the way 
The children carrousel 
The chestnut trees 
The wishing well 
 I'll be seeing you In every lovely summer's day 
In everything that's light and gay I'll always think of you that way
 I'll find in the morning sun And when the night is new
 I'll be looking at the moon But I'll be seeing you 
 I'll be seeing you In every lovely summer's day 
In everything that's light and gay I'll always think of you that way 
 I'll find in the morning sun And when the night is new 
I'll be looking at the moon But I'll be seeing you


Sunday, August 12, 2007

ハンス・コパーの美のかたち

ハンス・コパーが亡くなってから今年で26年。ハンス・コパーは ルーシー・リーと工房を共にして、お互いに 多大な影響を与えあった希有なパートナー同士として知られる。 

 ルーシー・リーは工房にお客が来ると必ずハンス・コパーの作品を買わせようと した、とアメリカの知人が言った。彼は晩年のルーシー・リーを何度も訪ねて 交流があったから本当のことだろう。 

 それでも自分はルーシー・リーの作品に魅せられていたので ハンス・コパーの作品はルーシー・リーに勧められて おつきあいの気持ちで買っただけ、あの当時、勧められるままに 買っていたら今頃ものすごい財産持ちだよ、と笑う。

 私自身はもちろんルーシー・リーの作品は好きだ。彼女の作品には 見た瞬間に心を掴まれる。魅せられる。何度も何度も気になって立ち戻る、 その繊細さ、緊張感があふれていながら大らかさも感じさせる。 何種類かの色粘土がスパイラルに立ち上がった花生け。 口縁のゆらぎ。凜とした佇まいに心を揺さぶられる。

 一方ハンス・コパーの作品はルーシー・リーが「彼は本物のアーティスト」と 人に紹介したように、彫刻ととらえられる。ハンス・コパー自身は花生けの 内部には茎が倒れないように2重の器を作り、実際にルーシー・リーの工房では 彼の器に花が生けられていたという。 

 しかしなんと言っても彼の創るかたちは余計な物をそぎ落とした、極限まで 考え抜かれた卓越した比率を持つ彫刻だ。マンガンで黒マットに 仕上げられたキクラデス形。カップ形の花生け。白い泥粧を塗っては削り 下のマンガンが茶色に現れた複雑な表情。大胆に切り込まれた線模様。 見れば見るほどいい。すばらしい。ジャコメッティを思わせる、いや ジャコメッティは彫刻だが、ハンス・コパーのそれは彫刻でありながら 絵画的、詩的、歴史的、音楽的、哲学的。そして古い文化とモダンな感覚の 両方を内包している。

 ルーシー・リーの作品は部屋のどこかに置いておきたい。 どこかから見ていて欲しい、と思う。 ハンス・コパーの作品は常に目の前にいて欲しい。いつまでも こちらが見ていたい。

 彼が生きていたら、今私たちが知っている以外にどんな作品を残しただろう。 ハンス・コパーの作品のかたちは常に「今在るかたち」から発展している。 必ずつながりがあり、「今在るかたち」のどこかが使われて 同じ線上にさらに発展したかたちが現れる。

 だから彼のかたちの変貌を同じ地平線上に並べたら、まるで 日の出から黄昏にいたる太陽のように、かたちの連なりが見えるだろう。 彼が生きていたら、キクラデスの次に生まれるのは何だったのだろう。

Thursday, July 19, 2007

Virgin Atlanticのラウンジ

またVirgin Atlanticに乗る機会があった。 ヒースロー空港のラウンジ、クラブハウスは大幅な改装を経て 2005年夏に倍の広さになったと聞いていたがそのサービスたるや 全く見事だ。 まずcomplimentary massageを受けることができる。10分だけだが、 飛行機を待つ間、時間を予約する。私は肩のマッサージを頼んだ。 ヘアーサロンもサウナやジャグジーもある。

 ソファにすわれば飲み物は何か良いか、食事は?と聞きに来る。 もちろんアルコールもあるし、簡単な暖かい食事もある。 なにしろその広さ。ハンモックがつってあり、中年の男性が乗って ゆらゆらしながらラップトップで仕事をしている。サンドィッチの カウンターもあり好きな具で好きなパンで作ってくれる。

 同じく圧倒的な広さでリニューアルした成田のノースウェストのラウンジが 殺伐とした雰囲気なのとは対照的だ。まあ、ノースウェストの ラウンジはどの空港でも同じ寒々とした空間だが。食事にしてもパックされた 乾き物が2,3種類おいてあるだけだ。空港に早めにいってリラックスしよう、 などとは思えないのがNWのラウンジだし、KLMにいたっては アムステルダムのラウンジは床もソファもしみだらけ。ごみや食べ物が 落ちていたりする。不潔きわまりない。 

 ノースウェストのマイレッジに入っているのでヨーロッパに行くときは KLMを使うことになるが、アムステルダムのラウンジにはとても 行く気がしない。 今回はロンドンまでヴァージン アトランティック航空を使うので 成田のラウンジでホットサンドイッチが食べられると楽しみにしていた。 成田ですらヴァージンアトランティックのラウンジは快適なのだ。 

 それが、、、、残念なことに成田のVirgin Atlanticラウンジは工事中で、 NWのラウンジを共有することになっていた。 出てきたのは冷凍庫から出したばかりの (しかも5包みくらいしかでてこないので食べられたのはたまたまそばに いた人だけだ)冷たいまずいサンドイッチ。いつもと同じノースウェストの ラウンジなら早くくるのではなかった。 飛行機もVirgin Atlanticのアッパークラスはベッドが180度に倒れる。 他の飛行機ではいくらビジネスクラスといっても椅子はかなり倒れても 足が30度の角度でさがったきりなので非常に気持ちの悪い体勢になる。 まあ、飛行機に快適さを求めること自体無理な話かもしれないが。

 食事はどこも似たり寄ったり。ビジネスクラスといってもまずさには 変わりない。エコノミーにいたってはまるで「エサ」という感じ。 エコノミークラスに乗るときは必ず日本からはおにぎりやサンドイッチ を持って乗る。海外から乗る時はピザでも買って乗る。でなければ 食事をせずにひたすら眠る努力をする。 

 ヴァージン航空でヒースローから乗る時は早く行って空港で ゆっくりすることにしよう。アッパークラスの予算がある時は、という ことだけれど。

Tuesday, April 03, 2007

ハンス・コパーとバイオラ・フライ

Hans Coper, Speed Art Museum

Speed Art Museum




Viola FreyViola Frey
Viola Frey at Nancy Hoffman Gallery, New York


ハンス・コパーの作品が一点、スピードミュージアムの常設展にあった。
ヨーロッパ陶磁器のコレクションの中に。学芸の方に聞くと
ルーシー・リーも一点、展示はしていないがコレクションにあるという。

陶器に関して言えばほとんどがヨーロッパとアメリカのものだ。
バイオラ・フライのカラフルな女性が横たわっている。それをみて
どう思う?と一緒にいた西海岸の大学教授に聞かれる。

好き嫌いは別としてインパクトがある、と答えると
「でも、だから?大きければインパクトはある。でもこれだけ巨大な
人物像を作るには理由がなければいけないでしょう?
理由は何だろう。何も感じられない。何故大きいの?
何故これだけのボリュームが必要なの?」

バイオラ・フライの人物像は巨大でカラフルだ。しかし何故だろう、
おおらかな感じを受けない。開放的なあっけらかんとした雰囲気を受けない。

2004年にバイオラ・フライががんで亡くなった後
ニューヨークのナンシーホフマンギャラリー
(Nancy Hoffman Gallery)で展覧会が開かれた。そこで真っ白の
男女の人物像と同じく真っ白の大きなアンフォラが巨大な森のように
展示された。

2004年の作とあったから亡くなって色を塗ることが出来なかったのか
意図して白で作ったのか(たぶん前者だと思うがタイトルに
white manとあった。誰がつけたのだろう)、わからないが、
色のない作品群にはかえって魅力を感じた。

スピード・ミュージアムでは一つの空間にハンス・コパーの作品があり
その正面にフライのカラフルウーマンが横たわるという何とも乱暴な
展示だった。正直どちらかをしまえば良いのに、と思う。

ハンス・コパーとバイオラ・フライでは全く空気が違う。というより
同じ部屋に存在すると熟慮された展示と感じられなくなってしまう。
ここではこの展示室に限らずガラスと絵画と彫刻が一緒に展示されていた。

デトロイト美術館でもこういう空間があった。もっと違和感が少なかったが。
展示の仕方がこのような方向になりつつあるのだろうか。それとも
文化の違いなのかその美術館の学芸員の好みなのだろうか。

それにしても、、、。ハンス・コパーをバイオラ・フライと一緒に
しないで欲しい。