Thursday, December 10, 2009

兵庫陶芸美術館ハンス・コパー展

京都から足をのばしてハンス・コパー展に行ってきた。 紅葉のなだらかな山に囲まれて美術館はある。

 ハンス・コパーのうつわたちの佇まいに胸を突かれる。 この形。カップ形の器を手に取ったことがあるが、 これほど沢山の形、本物の形。どれもいつまで見ていても まだ見ていたい。

 イギリスの小学校の壁に設置されていたという円盤状の ダイナミックな装飾。色はほとんどモノトーンなのに 深く深く語りかける言葉をもっている。 

 もちろん、ルーシー・リーの作品もある。 ハンス・コパーもルーシー・リーも、その作品は お互いを抜きにしては語れないだろう。 

 最後の部屋はハンス・コパーとルーシー・リーの 作品が並んでいる。コパーの茶と白の作品の中にあって ルーシー・リーの作品は心躍らせるような華麗な色 をしている。まさに世紀末のウィーンの空気を吸って 生きて創った作家の息づかいだ。 

 秋の深まりの中でぜいたくな豊かな時間をもてた、と 心から思う一日。

Monday, September 21, 2009

N700と中央線

東海道新幹線にN700が出来たときは乗るのを楽しみにしたものだ。 毎時10分がN700だったのでそれに合わせて予定を組んだりした。 何よりも喫煙車両がないということ、振動がない、静か、 パソコンのコンセントがある、、、などなど。

 で、どうだったか。 今ではできるならN700には乗りたくない。何よりも窓が小さい。 外の景色が不連続になることのストレス!どうしたってこれは デザインの改悪だと思う。おおらかさがない。せせこましい。 小さく囲われた景色しか見えないというのは息が苦しくなる。

 それにけっこう揺れる。 喫煙車がないといっても喫煙ルームがある不思議。 喫煙ルームに往復する人がそばを通るとひどいたばこの臭い。 やはりスモーカーはスモーキングルームに閉じこめておいて欲しい。 ずーっと喫煙車両にいてもらうほうがましだ。

 都内の中央線もデザインの改悪の例だ。 最初に新しい車両に乗ったとき唖然とした。一斉にぶら下がる 黒いわっか。何故黒なのか。 何より車内に入った瞬間気持ちが萎える。 さわやかな朝、仕事に行くにもなんとも気分が滅入るし不気味だ。 他の何色だっていい、贅沢は言わない。黒以外なら。

風街

京都に通い始めて9年になる。 いつも泊まるホテルから1ブロック東に入った狭い路地に 「風街」という美しい名前の居酒屋がある。

 最初、名前に惹かれて地下を降り、その店に入った。マスターは その昔、グループサウンズで「風街」という名のアルバムをだした という。名前のゆかりを聞いたらさりげなくそんな風に言った。

 メニューには「おやじのげんこつ」をはじめとするアイディア商品 がある。手早くおいしいおつまみを作ってくれるが、ただ一つ リクエストがある。 チンごはんはやめて欲しい。

おにぎりを頼んでも お茶漬けを頼んでも、一つ一つラップに包んだ冷凍ごはんを チンして解凍する。他のどれもがおいしいだけに、ちょっと興ざめ。 美しい店の名に恥じると思う。 「風街」に似つかわしくない作法だ。 という具合に、名前はいつまでもついてまわる、のです、マスター。 はしょらずに毎日ご飯は炊いてください。

Friday, September 18, 2009

グエンでなくグウィンという名

重大な間違いをしていた。考えもせず、当たり前のように 「グエン」と思いこんでいたが、「グウィン」と発音するのだった! 

 ある日、電話がかかってくる。 「私、グウィンよ」と。初めてなのに何故か親しみを感じて とめどない話をする。不思議な名前の由来も聞く。 グウィンのロマンティックな話を聞いて昔親友だったティーニを 思い出す。 

 ティーニはインドネシアからやってきた。ボーイという不思議な 名前のフィアンセがいていつも彼の話をしていた。 ティーニのデートの話にみんな惹きこまれる。 「で、それからどうなったの?」 「みんな、もう少し大人になったら話してあげる」 年は同じなのに、婚約しなくてはわからないこともあるのだ、と 彼女は言った。

 ティーニは慣れない日本語でしかも授業も日本語で受けていた。 働きながら勉強していたので、出される課題もこなすのが大変に なっていた。 やがてティーニは学校を辞めてインドネシアに帰ることになった。

 結婚をもう待てないとボーイさんに言われ自分もそうしたい、と。 ボーイさんは裕福な、政財界の御曹司だった。 二人は豪華客船でハネムーンに出かけた。そろそろ地中海の クルーズにまわる頃と聞いていた頃、知らせが届いた。 

ボーイさんから、ティーニがひどく具合が悪い、と。 それから間もなく、彼女は亡くなった。前から腎臓が悪かった のだけれど急性の腎不全ということだった。幸せの絶頂期に あったはずのハネムーンで。 

 ボーイさんは今頃再婚してインドネシアで要職についている ことだろう。ティーニと私ともう一人の仲間と、そして ボーイさんと4人で撮った写真がある。 ティーニだけはあの笑顔のまま年をとらない。

Friday, August 21, 2009

ノースウェスト、デルタ航空、あれこれ

ノースウェストとデルタ航空が合併してから初めて乗った。 今までノースウェストに乗っていたが、デルタと 合併してからはノースウェストの 名前がいろんなところから消えた。デルタの方が力関係が 大きいと言うことだろう。

 成田の航空会社のラウンジもデルタにとってかわり、置いてある スナックは少し質が良くなって種類も増えた。エアフランスの ラウンジよりほんの少し良いとも言えるかもしれない。 飛行機はビジネス席のブランケットがクイルトに替わった。 ごわごわしていてがさが増え色も濃いベージュで嫌だと 思ったがかなり大きいので身体がすっぽりはいる。

 また今までサービスのスリッパや洗面具は席に着いてから 配られたが今では先に席に置いてある。これはこの方が 効率も良い。デルタになったのだからNWのクルーはさぞ 緊張しているかと思いきや、おしゃべりくせは変わらず サービスの悪さも変わらず。 

 機内の食事はサラダ前菜は NW時代のほうが良かった。メインディッシュはデルタの 方が良い。デザートは変わらず。機内はきれいになった。 というよりNW時代はひどいきたなさだった。ビジネスでさえ 床がよごれトイレのよごれも放置されていた。少し機内の 状況に気を配るようにはなったのだろうか。

 NW/デルタで良いのは離着陸時の機内の状況に大らかなことだ。 全日空、ヴァージンアトランティックは規則とばかりに ブランケットも取り上げるし(どんなに寒くても)、どんな 小さなバッグも新聞もなにもかも片付けてしまう。

クルーは はやばやと着席して誰も動いてはならぬ、という具合に ただひたすら着陸を待つ。いやでも緊張感を高める儀式みたいだ。 NWはクルーは直前まで歩き回る。ショルダーバックくらいは 足下にころがっていても何も言わない。すっぽりとブランケットに くるまっていられる。

KLMもNW系だ。杓子定規で応用・機転が 利かないよりおおざっぱな方が私には合っている。 食事に関してはどの航空会社でも全く食をそそらない。 KLMの時は食事がホテルオークラだというので少し期待けれど 全くの期待はずれだった。

でもどこよりも評判を気にしているようで しばしばビジネスクラスに会社の「偉い人」が乗ってきて ひとりひとりに自己紹介し、機内のサービスはOKか、何か 気になることはあるか、これからもよろしく、と挨拶していく。

 結局どの航空会社でも食事には全く期待できないと いうことを飛行機にのるたびに実感する。 空港でピザを一切れ買って乗る方がよっぽどおいしい。 食べるものにもサービスにも期待できないとするとひたすら 眠る努力をするしかない、

とすると欧州路線なら ヴァージンアトランティックのビジネスが一番良い。 かなり幅はせまいけれど全く平らのベッドで羽布団だ。 しかも運が良ければ肩マッサージの順番がまわってくる。 それにショーファーサービス(送り迎え)が付く。 とはいえ10数時間もブロイラーのようにベルトして 食べるだけの状況は気持ちの良いものではない。 できることなら飛行機に乗らないのが一番良い。 というのが結論です。

ハンス・コパー展-2

ハンス・コパー展がやってくる!兵庫陶芸美術館で9月から。 今でこそちらほらコパーの記事がでてくるがほんの2,3年前までは ほとんど情報はなく名前を知っている人も少なかった。

 私はルーシー・リーが好きでそこから必然的にコパーを知った。 何だろう何だろうこの形は、と調べる内にどんどん 好きになった。心を射るというか見つめずにはいられない形。

 ルーシー・リーは静寂の美という展覧会が生誕100年にあった。 トロントのがーディナー美術館でも100年展があった。 もちろん1989年三宅一生氏のルーシー・リー展がある。 三宅氏は今年も21_21でルーシー・リーとジェニファー・リー のうつわ展を開催した。来年は国立新美術館でルーシー・リー展 が開かれる。

まるで大きな波のように次々と開かれる ルーシー・リー展。それだけ人気が大きいのだろう。 それにしても同展は「没後初の本格的回顧展」とうたっている。 過去の展覧会を無視しているのは意図的?かしら。 まあ、美術館同士の面目みたいなものがあるのかもしれない。 ブームのようにとりあげられるルーシー・リーに対して ハンス・コパーはまだまだ日本では知られていない。 けれど陶芸界はいうに及ばずもっと広い美術界に大きなショックを 与えるのはハンス・コパーだろうと思う。

その作品の独創性 ピュアな形状。ストイックな生き方。他に類を知らないほど 特異な作家と思う。一番好きなのはキクラデスと呼ばれる 緊張感溢れる作品。あくまで静謐にそこに在る。 ニューヨークの知人とコパー作品の魅力を語り出したら二人とも とまらなくなった。

彼を表して最も適切な言葉、と 一致したのは purity という言葉だった。生き方も作品も。 今の多くの作家達のこれ見よがしな作品はコパーの作品の 前では色あせて見えてしまう。

こういったら身も蓋もないかも しれない。でも出ては消える作品の山の中で、やはり コパーは確実に深さが違うと思う。好き嫌いのレベルを超えて。

Friday, July 24, 2009

ハンス・コパーとの出会い

ハンス・コパーに出会ったのはルーシー・リーを通してだ。
といってもハンス・コパーにもルーシー・リーにも
もちろん会ったことはない。

ルーシー・リーの花生けに魅せられて、そしてハンス・コパーを
知った。コパーの削がれたかたち。複雑な工程を経て
生まれるシンプルなかたち。コパーの黒。それを両手に
かかえる機会があった。

見れば見るほど飽きない黒。深く表情豊かな、
大胆で繊細なかたち。

台の上に乗ったカップのかたち。中には花の枝を支える
もう一つの器が作られている。あの有名なキクラデスフォーム
は花を受け入れそうもないが、この黒いカップ形には、
花を生けたらどんなに美しい空間が
生まれるだろうと思わせるものがある。

今になっては知るすべもないが、ハンス・コパーという人が
何を考え何を最も大事にして創り続けたのだろうと
考えずにいられない。

Tuesday, June 09, 2009

ハンス・コパー展


写真:Bonhams より

ハンス・コパー展が日本で開催されると巷の噂になっている。
そのドラマティックなポスターを見つけた。

ハンス・コパーとルーシー・リーのこの写真を見たら
彼らを知らない人でも、これはいったい誰だろう、と
興味を持つに違いない。写真から溢れる物語性。
静かに、けれど
情景からさわやかにそよいでくる詩情。
美しさ。
力強さ。

ただでさえコパーの造形は見る人の心を射る。
最初不思議で、見るほどに染み入る、そして
魅了する。この作品の作者、コパーという人は
どういう人だったのだろう、どういう生き方をして
どのようにこの作品を生み出し、何を想って
作り続けたのだろ、と思わずにいられない。

1995年、偶然訪れたニューヨークのメトロポリタン
美術館
でルーシー・リーとハンス・コパーの二人展を
開催していたた。その年の春、ルーシー・リーは
亡くなり、遺作展ともなった。あの時は
ルーシー・リーに心ときめいて、ハンス・コパーの
印象が強くない。

見た瞬間に心を捉えるのはルーシー・リーなのだ。
ハンス・コパーの作品は最初不思議、見れば見るほど
どうしようもなく心を奪われるのに。

同じニューヨークの近代美術館MOMAでもコパーの
コレクション
があるとは知らなかった。しかも
この形は非常に希だ。
黒のマンガン釉、ベースに円盤を垂直にした胴体が
立ち上がり、トップはこれまた3Dの円盤を今度は水平に
乗せてある。非常に奇妙な、けれどすぐれた造形美と
つくづく思う。

でも究極の作品はやはりキクラデス形(上写真)
だろう。古代ギリシアを思わせる究極のフォルムだ。
心が研ぎ澄まされて初めて可能なかたちなのだと思う。

Monday, May 11, 2009

MAY'Sの片桐舞子とアルビノーニのアダージョ

朝日新聞にMAY'Sの曲について 「悲しい曲ならいざ知らず、曲は明るいのに幸福感で 聞き手が涙してしまうのが2人の音楽の不思議さだ」 と書かれていて言い得て妙と改めて感じた。 

 例えば May's / 梢 歌詞を聴いているとなんと幸せできれいな詩かと思う。 同時にふいに涙が溢れる。これは涙腺に何か 不思議なちからが加わるのだとしか思えない。  

もしもいつか過去に戻れるのなら   君が生まれたその日を選びたい  
ずっと先の未来で待ってるから   小さな君に誓うよ 僕が運命だと  

もしもいつか未来に行けるのなら   君が消えてくその日を選びたい  
千年先も変わらず愛してるから   何度でも伝えたいよ 僕が運命だと 

 パワフルなハスキーな声と言葉をきちんと伝える力を 持っているからだろうか。メロディーだけでは起こりえない 作用をもたらす。声と詩のコラボレーションだ。 

 対極に音楽(メロディー)のみで人の心をふいに 感涙にむせぶ(開高健だったか?アラスカを車で 移動しているとき、ラジオから聞こえてきたこの 曲に思わず感涙した、とあった)作用をする曲がある。 アルビノーニのアダージョ 

 この静謐な、心にしみいる曲は、人の記憶また個人の記憶に 深く入り込んで心を揺さぶる。

ルーシー・リーの器を見ている ような。

Thursday, March 19, 2009

ほんの小さな悲しみ

いつもなら何でもないほんの小さな嫌なことがふたつみっつ 重なって、押さえきれない悲しみに襲われることがある。 

 いつもなら何気なくやり過ごすかすかな心の揺れなのに、 とてつもない大きな力に身動き取れない、と感じる。 くだらないほど小さな、恥ずかしいほどつまらない「嫌なこと」   

声を聞きたかった人があわただしく電話を切った   
仕事で質問したら相手が面倒くさそうに答えた   
せまい道で対向車がパッシングして通り過ぎた   
約束がキャンセルされた   
車が水たまりを跳ね上げていった    

そんなことが2度3度あって思わずどっと涙があふれる。 自分がとても惨めに感じる。相手が悪気があるわけでもなく 自分が悪いわけでもない。ただひどく自分がみじめ。 

 そんな時、一人で映画を見る。また本屋で何時間も立ち読みする。 コーヒーショップでぼんやり街を行く人を見る。 または早々と眠る。

一晩眠ると朝は元気になっている。

Saturday, March 07, 2009

ルーシー・リーについて森山明子氏エッセイ

デザインサイトのうつわ展でカタログを買った。
アポロ11号からスーパーカミオカンデからミノス文明から
殷の甲骨文字から漢字の器から琵琶湖の歌からヴィーナスから
西洋の象徴体系から能動原理から受容原理から(ところで
能動の反語は受動ではないか?)

「静かな工房で危険な旅をしていたのだ」から縄文土器から
中国夏王朝から景徳鎮、
ネイティブ・アメリカンの口承詩から「瓶は智慧ある者の
別名」(ところでこれの原典は何だろう)から、、、

盛り沢山の引用知識。圧倒され、、、、そして
空しくなってしまった。 

この人はルーシー・リーについてご存知だったのだろうか。
それとも時間がなくて書物や引用できる知識を駆使した
のだろうか。

しかも「私は男性によって創られた」を恋情と言い換えている。
これは間違いだ。
それに発音。decade はどうしたって de'keid でしょう。
ディケードとは言いません。

森山氏はデザインに関して豊富な経験と知識をお持ちの方だ。
けれどルーシー・リーについて語るにはふさわしくない。または
十分にリーを理解していない。上っ面の言葉、知識の羅列に
感じられてしまう。

私の独断と偏見によれば
ルーシー・リーとその作品はこのエッセイの対極に在る。

sympathy を装って書かれているがその実自分の書いている文に
対するsympathy でしかない。

何をこの人は言いたかったのだろう。

Monday, February 23, 2009

金子光晴の「洗面器」

放浪の詩人、と言われる金子光晴にこんな詩がある。  

洗面器のなかの  さびしい音よ。  
くれてゆく岬(タンジョン)の  雨の碇泊(とまり)。  
ゆれて、  傾いて、  疲れたこころに  
いつまでもはなれぬひびきよ。  
人の生のつづくかぎり  耳よ。おぬしは聴くべし。  
洗面器のなかの  音のさびしさを。 

 寂しくうらぶれているのに、どこか甘美な響きがする。 思わず繰り返したくなる言葉のリズム。 寂しいけれど甘いにおい。 暗いけれど宵闇ではなく夜明け。 暗い海の波と港の人間の生活のにおい。ジャワの。 詩の前に括弧書きがある。 

 「僕は長年のあひだ、洗面器といふうつはは、
 僕たちが顔や手を洗ふのに湯、水を入れるものとばかり思って いた。
ところが、、、(中略)、、、、などを煮込んだ カレー汁をなみなみとたたへて、、
(中略)、、、、その 同じ洗面器にまたがって広東の 女たちは、、
(中略)、、、、しゃぼりしゃぼりとさびしい音を 立てて尿(いばり)をする。」 

 これを読んで突然目の前に人間の営みの匂いや音や暗闇が 見えてくる気がする。

Saturday, February 14, 2009

三宅一生氏「うつわ展」

21_21ホームページより 21_21のデザインサイトでルーシー・リー、ジェニファー・リー、 木工のエルンスト・ガンペールの3人展が開かれている。 

 私の見たいのはやっぱりルーシー・リー。1989年の草月会館 と同じ安藤忠雄氏の会場構成で水に浮かぶ作品群は限りなく 静かで美しい。でも本当は当時と異なる展示を期待していたので (どんな見せ方をするのだろう、と)ちょっと残念。

 けれどやはりルーシー・リーの器はとても水に馴染む。 うつわの遠景とシルエットが心に刻まれる。 ふと、これがジェニファー・リーでなくて ハンス・コパーのうつわだったら、と想像してみる。 やっぱりどうしたって、ルーシー・リーとハンス・コパーでしょう。 対峙させるなら。

 対峙でなく、共にならべるとしたらなお一層ハンス・コパーでしょう。 どんなに美しく豊かな空間が生まれることだろう、と思う。 展示の中のルーシー・リーの器に、ハンス・コパーかと思わず 目をこらした作品があった。表情といい、形といい、テクスチャーが ハンス・コパーのサックフォームを思わせる。

こういう作品も あったんだ、とあらためて思う。 ルーシー・リー作品のコレクター、デイビッド・アッテンボロー卿が、 

 (今も)オークションなどで、かつて見たことのない釉薬、形の作品に 出会う。
それでいて見た瞬間にまがいもなくそれがルーシー・リーの 手になる物だとわかる。

 と言っている。

直感する、と言って良いだろう。一瞬でそれが彼女の 作品だ、と感じてしまう。
心に入り込む。理屈ではない。 20世紀に生まれてルーシー・リーとハンス・コパールーの作品に 出会えた幸せ。それを見ることのできる幸せ。 

 私はコレクターではないし、所有したいとは思わない。もちろん 今は大変高価な作品だから買えるわけもないけれど。ただ、 もし豊かであったとしても、買って飾って見ていたいという 欲はほとんどない(全くない、と言わないところが自分でも 不本意なのだけど)。

 本を開いて、ルーシー・リーの作品を見る。ハンス・コパーの キクラデス・フォルムを見る。床に寝そべってパラパラと 本をめくる時間の幸せ。  

Wednesday, February 04, 2009

報道写真考「ふたたび「少女とハゲワシ」

というか。私はこの少女とハゲワシの構図を美しいと思い、 そういう自分の捉え方に恐れおののいたのだ。

 カメラを捨てて何故少女を助けなかったか、というごくまっとうな 非難に、私もまた次元のことなる出来事のように 切迫感を持たないでいた。

少女が危険な状態であったらこの写真は なかっただろう、という漠然とした思いがあった。 

 ハゲワシの危険より、生涯の大半を 飢餓の状態で過ごしてきたであろう少女の 取り返せない時間を思った。

 そしてフォトグラファーが死んだという報道に、 非難の声と、さらに(私も含めた)もの言わぬ多数の人たちに 立ち向かえなかったケビン・カーターの繊細さを思った。

 「私 は祈りたいと思った。神様に話を聞いて欲しかった。 このような場所から私を連れ出し、 人生を変えてくれるようにと。」

という彼の告白は なんとまともで、なんと強烈に響くことだろう。

Tuesday, February 03, 2009

ハゲワシと少女、アフリカにて

14,5年も前になるだろうか。アフリカスーダンで女の子が くずれるようにしゃがんでいる。その後ろに大きなハゲワシが 襲いかかろうとしている写真がニューヨークタイムズに発表された。 

 カメラマンはピュリッアー賞を獲得し一躍有名になったが 報道か救命か、何故少女を助けなかったかと非難され 後に自殺した、と記憶している。

誰もがその後少女は どうなったか、ハゲワシの餌食になったのでは、という 想像を誘ったからだ。 長いことあの真相はどうだったのだろうか、カメラマンは何故 自殺したのだろう、と心にひっかかっていた。 

 同じ思いを持ち続けた人がいたとみえてこの前後のいきさつを 紹介しているブログを見つけた。Ameharaと名乗る人の 「あるカメラマンの死」という引用テクストだ。 『絵はがきにされた少年』 藤原章生 集英社 「第一章 あるカメラマンの死」から、とある。 

 それによると、この写真の撮影時、母親はそばにいて 国連の配給食料を得ることに夢中になっていたらしい。 荒野の真ん中にぽつんと少女と鷲がいると思いこんでいたけれど まわりには人が沢山いたという。

そしてこの写真が撮られたあと 少女は立ち上がって歩き出したという。 この写真を撮ったケビン・カーターの自殺の真相はわからない。 けれど、ピュリッアー賞を取った3ヶ月後、彼はヨハネスブルグ 郊外で車に排ガスを引き込んで自殺した。

 遺書には友人の名と別れた妻の名、電話番号、そして 一緒に撮影現場に行った彼の友人ジョアオ・シルバを指して 「言葉に出来ないほど彼が好きだ」と小さな字で記されていた いたという。

 彼自身の告白が残されている。 「この(写真を撮った)後、とてもすさんだ気持ちになり、 複雑な感情が沸き起った。フォト・ジャ-ナリストとして ものすごい写真を撮影したと感じていた。この写真はきっと 多くの人にインパクトを与えると確信した。 写真を撮った瞬間はとても気持ちが高ぶっていたが、 少女が歩き始めると、また、あんたんたる気持ちになった。

 私 は祈りたいと思った。神様に話を聞いて欲しかった。 このような場所から私を連れ出し、人生を変えてくれるようにと。

 木陰まで行き、泣き始めた。、、、、」 (NHK教育「メディアは今―人命か報道優先か・ピュリツアー賞・ 写真論争―」94・6・30放送) 「Amehare」さん引用集より。 

 このテクストは2008年12月13日付になっている。何とも15年も経って 同じ頃に同じようなことに関心を持って掘り起こしたひとがいるのだ。 

『絵はがきにされた少年』 藤原章生 集英社 「第一章 あるカメラマンの死」を私も読んでみよう。 これは報道カメラマンの倫理を問う論争にも繋がった センセーショナルな写真であり、またそのカメラマンの死が それを一層印象を強くした出来事だった。

 けれどやはりこれも今橋映子氏の指摘した「(美しい)棘」と言える のではないか。背景を理解しないままにカメラマンを非難した人々も そしてこの今こうやって15年を経てあの事件の真相、 写真の背景を知りたいと思う私も、あのショッキングな写真のもつ 棘故なのだと思う。

Monday, February 02, 2009

今橋映子著フォト・リテラシー

報道写真が好きだ。好きだけれど、魅せられるけれど何かがいつも 心にくすぶって重い澱のように残ったままでいる。

 魅せられる自分がいるのにそういう自分にうしろめたさを感じ 悲惨な現場を美しいと感じる自分に反発を感じていた。 それを言葉に出来ないでいた。 

 今橋映子はその著書、「フォト・リテラシー」の中で、彼女もまた スーザン・ソンタグの「他者への苦痛のまなざし」から言葉を 紡いでそれが何で何故なのかを解いてみせている。

 美しいと感じる自分に後ろめたさを見る自分。
その事に対して 写真は「美しい棘」に成り得る。

逆には優れた報道写真 ー決定的瞬間に限らず、
対象の選択と技法が、明確な 思考あるいは正確な取材に裏付けられ、
しかも対象への 共感を失わない写真 ーこそが、歴史と人間の様態を、
記憶の断片として定着し得るとすら言える。 

 という。

そしてそれが「思考の契機としての写真」を肯定する。 
であるなら、悲惨さに美を感じてうしろめたさを抱くことにすら 
意味があるということだろう。 

 なんとも深い思考に裏打ちされた写真の「読み方」でなんと 
優れた本だろう。 

 それにしても今橋映子さんってすごい才能だ。

みたびルーシー・リー展

3月13日からルーシー・リー展が開かれる。ミッドタウンの 21_21デザインミュージアムだ。

なんとタイムリーなことに テレビ東京の「美の巨人」でルーシー・リーを取り上げる という。もちろん三宅一生さんの一声だろう。

 驚くほど若い人たちがルーシー・リーの名前を知っている。 感性が合えば権威も歴史も関係ないという若い人特有の 柔軟さがルーシー・リーとその器をファッションと同じ感覚で 捕らえている。 

 この秋にはルーシー・リーと工房を共にし、後に工房を フルームに移してからも終生変わらない友情を分かち合った ハンス・コパーの展覧会も開かれるという。 

 来年もまた国立新美術館でルーシー・リー展が開かれるなど、 ルーシー・リー、ハンス・コパーがいかに人々を 惹きつけて止まないかをあらためて思う。 

 そうそう、銀座のみちばという懐石レストランでも身近に ルーシー・リー作品を見ることが出来る。新宿の京王デパート でも先週だったかルーシー・リー展をしていた。 

 ルーシー・リーという人の頑固な生き方は女性達に(というか 男性にも、かな)大きな勇気をくれる。ただひたすら 好きな物を創り続けることへの勇気。

 そしてルーシー・リーとハンス・コパーとの親愛は まるで自分にとってもひたすら大切な宝物のように思えてくる。