Monday, December 06, 2010

在宅介護 小山市の淳子さん

12月2日、NEWS ZEROというらしい番組。 日本テレビで親の介護をしている 酒井淳子(きよこ)さんという30代の女性のルポを見た。 

 脳梗塞の後遺症で左半身が不自由な父親の介護を 7年間している。呼吸補助器をつけているので 一日2回しかベッドを離れないという。彼女は 夜中でも5回も父の呼び出しベルで介護する。 母親は腰が悪く、介護を娘に頼らざるを得ないという。 どんな思いかと聞かれて 「親の介護の為に娘の人生を狂わせてしまったのではと 思うこともあって、心が痛みます」と言う。 

 今からでも遅くない、なら今すぐ父親を介護施設に入れ 自分は腰のリハビリをするなり娘を解放するべきだろう。 夜中に呼び出されてすぐに返事が無かったときに父が 苦しくて食器を投げつけた、という割れたお皿が 散らばっている。 

 「ちゃんと自分が対応していればこんな思いを させずにすんだのかなって自責の念にかられる」と 淳子さんは言う。 板谷という年配の男性アナウンサーが 「きっと皿を投げた後のお父さんも苦しかっただろうね」 という。 この無責任なアナウンサーの言葉に驚愕する。 これは立派なドメスティックバイオレンスだ。 

板谷アナウンサーは決してこういう言葉を言ってはいけない。 父親になにかあったら貴女に責任があるよ、と 暗に言っていることと同じだ。 それでなくても理不尽な環境で、お前に介護の 責任がありそれから逃れられないと洗脳されている。 誰もそれ疑問ももたずに、なすすべがなくてこの 状況と思っているのだろう。

DVの意識などないに 違いない。けれどこれは立派なDVだ。 娘は自分がこの24時間体制の介護を否応もなく 受け入れざるを得ないと思いこんでいる。父親は 今の状態は楽だろう、施設に入りたくないだろう、 けれどこうやって一人の人生を縛り付ける権利は 全くない。 淳子さんと母親は父を施設に入れるべきだ。そして そうやっても全く貴女はいいんだよ、と誰か 言ってあげなくてはいけない。

自分にすべての 責任があると意識せずに洗脳されている、または 思いこんでいる彼女の意識をまず解放してあげるべきだ。 DVを助長している板谷氏は「親の介護は淳子さんが して当然」という老人男性や社会の無責任を代弁 していて醜い。

父親だって立派にリハビリができる 状態じゃないか。まだ61才だ。何故娘をしばりつけ 状況を改善しようとしないのだろう。 この若さで残りの娘の人生をどうしようとするのだろう。 自分に何かあればお前のせいだ、という罪の意識を 娘に植え付けている。こうやって逃れられない状態に し続けることこそがDV以外の何だろう。 

母親だってすわったきりで 食べるだけの生活から抜け出そうとしない。 娘の意識、親の意識、を変えることが必要と思う。 親子でも個々の独立した人生がある、あるべき、と。

Sunday, October 17, 2010

オールウェイズ・ラブ・ユー

朝日新聞の土曜「be on Saturday」という紙面に「うたの旅人」 というページがある。いつも興味深く楽しみに読んでいる。 

 10月9には映画「ボディガード」の主題歌 「オールウェイズ・ラブ・ユー」が取り上げられていた。 けれど訳の歌詞が間違っている。

 If I should stay I would only be in your way So I'll go But I know I'll think of you every step of the way And I will always love you Will always love you I hope life treats you kind And I hpoe you have all you ever dreamed of And I wish you joy and happiness But above all this I wish you love 

 去っていく女性の感情を表した甘い歌詞の対訳が 「もしいなくてはならないのなら あなたのやり方に従うまでよ 私は行くわ、、、」 となっている(江戸賀あい子氏訳)

 原文最初のパラグラフは正しくは 「もしも留まるとしたら あなたのじゃまになるだけ。 だから私は行くわ」 である。

これは中学の文法だ。わざとかと 思い、読み直すがこれは意訳ではなく全くの 間違いだ。なぜこんな初歩的な間違いが 新聞に載っているのか記者の(というよりデスクの) いいかげんさにただ驚いてしまう。

もちろん訳者の 力量は疑問だ。 興味深いテーマなので楽しみに読んでいるが これほどでたらめで基礎的な間違いはそうあるものではない。 そういう意味でおもしろく読んだが、それにしても ひとつの言葉のニュアンスで、甘く感傷的な歌詞が はすっぱな女性のイメージに変わってしまうことに 驚く。 

 しかもこの誤訳は日本語としてもまったく意味が通らない。 「あなたのやり方に従う」なのに「私は行くわ」 理屈が破綻している。 言葉は道具でしかないが、人と人をつなぐ、 または隔てる威力ある武器だと思う。

Wednesday, August 11, 2010

アレン・ギンズバーグの写真

from National Gallery of Art HP

Beat Memories:
The Photographs of Allen Ginsberg


たまたま行ったワシントンDCのナショナル・ギャラリー・
オブ・アート
のウェストビルディングでアレン・ギンズバーグの
写真展
をやっていた。

アレン・ギンズバーグはビートジェネレーションの詩人だ。

写真を撮っていたとは知らなかった、と思いながら名前に惹かれて入る。
ギンズバーグがジャック・ケロワックを撮っている。日本に来たときの
写真も多数ある。

恋人や近い友人そして自分自身を撮った個人的な写真。

写真展というより写真で表現された詩とも言えるイメージの数々。

と、ここまで書いてきてナショナル・ギャラリー・オブ・アートの
HPを探すと、同じような表現に出会ってびっくりする。

......his pictures are far more than mere historical documents.
The same ideas that inform his poetry—an intense
observation of the world......

とある。とすれば私のような感想を見る人に抱かせることを
意図した展覧会だったのだ。美術館の奥まったせまい空間
だけれど写真や資料は7〜80点あって、ビート世代を
知らなくてもなんだかとても懐かしい時代を感じさせる。

いつの時代にあっても、振り返ってかつて若かった頃の自分を
思い起こさせるような写真なのだ。1950年代から1990年代まで。

彼は

"I do my sketching and observing with the camera."

Allen Ginsberg, 1993

と言っている。

"certain moments in eternity”

を捉えようとした写真はほのかなほろ苦さと率直さと
そして何よりも物憂さとエネルギーと。

Thursday, August 05, 2010

哲学者とオオカミ

「学習能力抜群天才ラット」東海大、30年で95世代交配、と タイトルにある記事を読んだ。 「天才」は、30秒ごとにレバーを押さないと軽い電気ショックを 受ける実験で、学習能力の高かった個体同士を繰り返し、交配 してつくった、とある。 

 これを読んでマーク・ローランズの「哲学者とオオカミ」に 出ていたエピソードを思い出した。 マーク・ローランズの 「哲学者とオオカミー愛・死・幸福についてのレッスン」 は4月に発売されて6月には再版となった本だ。 売れるはずもないと思われて少部数発行したけれど 朝日新聞の書評に取り上げられて急遽日の目を見た 幸運な本だ。 

 いかに人々が(私を含めて)オオカミという動物に 魅せられるかということだろう。この著者の体験した オオカミとの暮らしはなんと貴重で輝かしくうらやましく 思えることだろう。 哲学などと言わず、単純にこの気高きオオカミ、ブレニンの 物語を語って欲しいと何度途中で願ったことだろう。哲学 はいらない、著者の考察はもういい、ブレインンは今日起きて 何をしたのか?何が起こったのか?起こらなかったのか? 誰と出会ってそれはどのような出会いでブレニンは何と 答えた(オオカミ語で)? もっとブレニンの写真を見たい、エピソードを聞きたい、 と思いながら欲求不満の残る気持ちで読み進め、そして 最後に理解した。

この著者は哲学的考察ぬきでブレニンの 物語を書くことはできなかったのだ、ということを。 別れが辛すぎて、生身のブレニンを思い出すひとつひとつの 出来事を、そのまま綴るにはブレニンを愛しすぎていたのだと。 

 この中で様々な出来事が哲学的考察として取り上げられる。 その一つに、恐ろしい拷問装置を心理学の名の下に発明した ハーバード大学のR.ソロモン、L.カミン、L.ワインの実験が 記されている。 中を仕切り板で分けた箱に犬を入れ、足に強い電気ショックを 与える。それを逃れようと犬は仕切りを飛び越えて、隣の区画に入る。 この過程が数百回も繰り返され、仕切りはだんだん高くされるが それをついに飛び越えられず犬は電流の流されている床に 落下する。

 別の実験では両方の床に電流を流す。犬はどちらの区画にジャンプ しようと電気ショックを受ける。それでもあまりに痛みが 激しいので、無駄な試みではあっても区画の一方から他方へと ジャンプし続けた。 

 そして犬たちは「先を見越したかのように鋭いきゃんきゃん声を」 出し、最後は尿と糞を垂れ流し悲鳴をあげ、ふるえ、消耗しきって 床に横たわる。これは「学習性無力感」という鬱病モデルを 構築するために考えられたという。 

 これを読みながら胸が苦しくなる。このような拷問が学問の 名の下に許される。 この実験と同じようなものが日本の大学の壁のなかで繰り返され しかもそれは「科学物質の影響調査に一役」という 高尚な学問実験として記事になるのだ。いのちの重さは、、と 思いながら、それでもこの犬でなくて良かった、と思う自分がいる。

Monday, August 02, 2010

汐留ミュージアムのハンス・コパー展

先週またハンス・コパーに会いに行った。LEDの紹介記事も新聞に あったので、もう一度作品たちの表情を見たかった。

 ハンス・コパーの作品では光と影が大きな役割をしていると思う。 同じ黒なのに光があたるとさまざまに繊細な表情を表す。影は シルエットを浮かび上がらせ、影になる黒は暖かい。そんな 表情が好きだ。

 LED照明のもとで作品は下からもほのかな光を受けて、 作品は自身の影をもたず、暖かい光に納まって見える。 この見せ方は作家の望む物だろうか、とふと思う。 光は優しく暖かくそっと作品を包む。光にくるまってなんだか 大いなる者の恩寵にいだかれているかのようだ。

 コパーの生涯を知るとき、この、外部からの暖かさは あまりピンとこない。なんだか作品がくすぐったがっているように 思えてしまう。 鋭く緊張感にあふれた研ぎ澄まされた空気のなかにおかれてこそ (それはコパーの作品が醸し出すものでもある そういった空気)作品が生き生きと語りかけてくる気がする。

 静謐な、微動だにしない、時を経た、静寂の世界からの 作品たちの言葉は光と影の中でこそ発せられ会話されるように思う。 一人よがりの感想だと自分でも思うけれど。

京都の街は好き。そこに住む人は嫌い。

イギリスの片田舎で会った人と京都の話になる。 彼女は関西出身でイギリスに20年住む。 

 京都の街は好きだけれどそこに住む人は嫌い、と私が言う。 彼女は故郷から遠いところに住みたかった、という。

 京都で懐石とうたっている小さなお店に入ったことがある。 いつも泊まるホテルの近く、四条烏丸からほど近い 割烹いしいというカウンター席の小さな店だ。 飲んべえの友人とそこで待ち合わせしていた。 お昼も食べていなかったのでこのままつきあうにはちょっと しんどい。友人が来る前にお茶漬けかなにか 少しお腹に入れておこうと思いメニューに でているご飯物について聞いた。

 奥さんらしい人がお手ふきを出してくれたところだったが ご飯は、、、と聞くなりマスター(シェフというのか?)が 急に声を荒げて 「うちはそんなんじゃないから!」 という。 
「え?そんなんじゃ、って?」 意味が分からなかった。 「うちはそういう店じゃないから。困るんだよ」 と、出て行けという仕草。 「食事じゃないんだよ、うちは」 

 待ち合わせと言い出す気力もなく追い出された。 まさに追い出された、不思議な気持ちだった。 ネットで割烹と書いてあるからには食事もできるのではないか? 飲み屋専門。食事お断り。と書くべきでは? 

 友人の携帯にいきさつを話して角の道で待つ。 「どうしたの。追い出されたの?」 何か悪いことをしたんだろうか、とショックな私。 他の店に行くことにして二人で「いしい」の前を通ってみる。 半分開けてあった入口は1/3に閉じてある。 私のような勝手のわからない一見さんが来るのを 避けるためだろう、と友人。

 「ちょっと京都で修行をすればもう京都料理、割烹、と 宣伝するんだよ、京都料理とすれば格が上がると思うんだろう。 本当の格式のある料理やはそんな待遇をしないよ」 「夫婦げんかでもして虫の居所が悪かったんじゃない?」と 慰められる。

 東京の人間は全くこだわりがないのに京都の人は 常に「東京なんか、、、だろう。京都は、、、だ」と言う。 自分たちが世界で一番だと思い、自分たちの世界で完結している。 と思っている。 世界は広いのにそれを知らない。 一生をそうやって過ごせばそれはそれで良いのかも知れないが。

Sunday, May 16, 2010

ルーシー・リーの器

photo: Craft Study Centre



国立新美術館に行った。駅に大きなルーシー・リー展のポスターが 貼られてから一ヶ月。予想はしていたがかなりの人が入っている。 250点もの作品が展示され、釉薬ノートや注文の手紙など資料も ある。 ボタンの部屋は何故あんなに暗く展示されているのだろう。 陶製だけでなくガラスのボタンも展示。あまりに数が多く もういい、と思う。人も多くて暗いのは苦手。途中で抜け出してくる。 白の花生けを集めたコーナーはとても美しい。あの小柄な ルーシー・リーがこんな大きなものを作ったのかと改めて思う セインズベリーセンターのコレクションからの60cm以上も あろうかと思われる白の花器。 小振りな、思わず手に乗せたくなるカップ&ソーサー。鉢。 やはり食器類はいかにも使ってみたくなる。 ウェッジウッドのコーヒーカップのプロトタイプ。繊細で シンプルでジャスパーウェアの美しいブルー。ブルーはいかにも 「イギリス」なのだが、まるでウィーンの濃いコーヒーが 香ってくるようだ。 ピンクの掻き落としや緑の鉢、色の作品を集めた最後の部屋。 数が多いと言うだけでなく種類も豊富で見応えがあった。 大きく引き延ばされたルーシー・リーの工房の写真。 50年代と思われる作品のならんだ棚の写真。ハンス・コパーが ルーシー・リーの足を押さえている写真。工房前に二人が 立っている写真。人がいなければじっとすわってルーシー・リーの 器に囲まれてルーシー・リーの空気を感じていたい、と思わず 思う。

Tuesday, February 23, 2010

ルーシー・リー展ハンス・コパー展

今年はすごい!ルーシー・リー展とハンス・コパー展が
日本で同時進行だ、と言ったらフランスの友人が
いったい日本人はいつまでルーシー・リーと言ってるの、と
あきれた。どちらかといえばハンス・コパーが私は
好き。でももっと新しい作家がいるでしょう、と。

彼女はもういちど、いつまでもルーシー・リーじゃないでしょう
と言って話を打ち切った。でも最後にまた春に日本に来るので
あなたにつきあって両展を見るわ、と。

そう、日本人は、というか私はルーシー・リーとハンス・コパーが
好き。ルーシー・リーもハンス・コパーも、というべきか。
他にももっと好きな作家はいるから。例えばグイン・ハンセン・
ピゴット。ボーディル・マンツ。

ルーシー・リーの亜流はたくさんいる。一目で真似た、と
わかる鉢や花生け。作っていて恥ずかしくないかなあと思う。
プロでもそういう人、たくさんいる。
アマチュアが好きな作家のものを真似て作るのはどうしたって
通る道だろう。でもその先、自分のものが作れるかどうか
それが壁なんだろう、きっと。

4月からの国立新美術館のルーシー・リー展ではウェッジウッドの
ために作ったあの淡いブルーのコーヒーカップが展示されると
聞いた。あれを見るためだけにでも十分行く価値がある。
でもあの広い空間をしかも天井の高いスペースをどうやって
展示するのだろう。あの空間、好きではないけれど
想像するとやっぱりわくわくする。

あの繊細な、思いの外小さいカップとソーサー。あんな風な
デザインの作品が好きだ。待ち遠しい。ハンス・コパー展も
京都にいるときは信楽までもういちど行きたい。東京にいるときは
汐留まで何度か行こう。

オーストラリアから春にセザンヌを見にやって
くる友人がいる。彼と彼女はルーシー・リーもハンス・コパーも
好きだから一緒に行くことになるだろう。
そうやって美術展を見るために海を渡る人たちがいる。

お金と時間にゆとりがあるというか、、、。イギリスからも
ルーシー・リーに来る人がいる。やっぱり日本人だけでは
ないよ、とフランスの彼女に言ってあげたい。ま、人は
どうでもいいけれど。

Wednesday, February 10, 2010

NHKと横田さん

NHKにクローズアップ現代という番組がある。そのアナウンサー というかキャスターというのか国谷さんという女性がいる。

 常々能面のような人だ、と思っていたが一度だけ感情を 抑えきれずに声を詰まらせたのを見た。 キャスターとしてはあるまじき感情表出というのかもしれないが、 私はその時初めて近親感を感じた。 

 それは北朝鮮に娘めぐみさんを拉致された横田滋さん夫妻の インタビューだった。来し方を聞きながらご両親の思いは いかばかりかと思いを巡らせたのだろう、思わず声を詰まらせ 顔をゆがめた。早紀江さんが思いがけない風に彼女を見た。

 何千回も同じ事を語り同じ説明を繰り返してきたであろう 早紀江さんにとって、こんな事ごときで声を詰まらせる 他人が不思議だったのかもしれない。 それにしても何と強い尊敬に値するご夫婦だろうと思う。

 たった二人で駅で街頭で訴えてきた何十年間、国も私たちも 振り返りもしなかったのだ。それを自分のこととして感じて ください、と訴え続けてまだ何も解決せずにいる。 何ができるだろう、、。 このことがあって、番組自体と国谷さんを見直した。

 週末には国谷さんの代わりに男国谷とでもいうそっくり男性が 登場する。最初見たときは全くうり二つの弟がでてきたのだと 思った。でも何回か見ているとどうも違うらしい。顔はもちろん 話し方まで似ている。

 朝はニュースの時間、地方に取材に飛ばされる女性レポーターが いる。話し方、イントネーション、他人の中年の男性女性を つかまえて「お父さん、今何してるんですか?」 「お母さんそれは、、、」などと話しかける無神経さ、高い声、 手振り身振り、その厚かましさに辟易してどうも苦手だ。 

彼女が出てくるとすぐにテレビを切る。 私だけかと思ったら先日全く同じ人がいた。朝から嫌なキャスターが 出てきて不愉快だった、というので聞くと同じレポーターの ことだった。彼女が出てくると即座にチャンネルを変えるという。 

 ところがこの頃スタジオでニュースを伝える女性キャスターが 全く同じような話し方、イントネーション、大げさな声の高低、 ジェスチャーをしている。 これはNHKがこういう指導をしているということなのだろうか、 何とも不思議なことだ。

Thursday, December 10, 2009

兵庫陶芸美術館ハンス・コパー展

京都から足をのばしてハンス・コパー展に行ってきた。 紅葉のなだらかな山に囲まれて美術館はある。

 ハンス・コパーのうつわたちの佇まいに胸を突かれる。 この形。カップ形の器を手に取ったことがあるが、 これほど沢山の形、本物の形。どれもいつまで見ていても まだ見ていたい。

 イギリスの小学校の壁に設置されていたという円盤状の ダイナミックな装飾。色はほとんどモノトーンなのに 深く深く語りかける言葉をもっている。 

 もちろん、ルーシー・リーの作品もある。 ハンス・コパーもルーシー・リーも、その作品は お互いを抜きにしては語れないだろう。 

 最後の部屋はハンス・コパーとルーシー・リーの 作品が並んでいる。コパーの茶と白の作品の中にあって ルーシー・リーの作品は心躍らせるような華麗な色 をしている。まさに世紀末のウィーンの空気を吸って 生きて創った作家の息づかいだ。 

 秋の深まりの中でぜいたくな豊かな時間をもてた、と 心から思う一日。

Monday, September 21, 2009

N700と中央線

東海道新幹線にN700が出来たときは乗るのを楽しみにしたものだ。 毎時10分がN700だったのでそれに合わせて予定を組んだりした。 何よりも喫煙車両がないということ、振動がない、静か、 パソコンのコンセントがある、、、などなど。

 で、どうだったか。 今ではできるならN700には乗りたくない。何よりも窓が小さい。 外の景色が不連続になることのストレス!どうしたってこれは デザインの改悪だと思う。おおらかさがない。せせこましい。 小さく囲われた景色しか見えないというのは息が苦しくなる。

 それにけっこう揺れる。 喫煙車がないといっても喫煙ルームがある不思議。 喫煙ルームに往復する人がそばを通るとひどいたばこの臭い。 やはりスモーカーはスモーキングルームに閉じこめておいて欲しい。 ずーっと喫煙車両にいてもらうほうがましだ。

 都内の中央線もデザインの改悪の例だ。 最初に新しい車両に乗ったとき唖然とした。一斉にぶら下がる 黒いわっか。何故黒なのか。 何より車内に入った瞬間気持ちが萎える。 さわやかな朝、仕事に行くにもなんとも気分が滅入るし不気味だ。 他の何色だっていい、贅沢は言わない。黒以外なら。

風街

京都に通い始めて9年になる。 いつも泊まるホテルから1ブロック東に入った狭い路地に 「風街」という美しい名前の居酒屋がある。

 最初、名前に惹かれて地下を降り、その店に入った。マスターは その昔、グループサウンズで「風街」という名のアルバムをだした という。名前のゆかりを聞いたらさりげなくそんな風に言った。

 メニューには「おやじのげんこつ」をはじめとするアイディア商品 がある。手早くおいしいおつまみを作ってくれるが、ただ一つ リクエストがある。 チンごはんはやめて欲しい。

おにぎりを頼んでも お茶漬けを頼んでも、一つ一つラップに包んだ冷凍ごはんを チンして解凍する。他のどれもがおいしいだけに、ちょっと興ざめ。 美しい店の名に恥じると思う。 「風街」に似つかわしくない作法だ。 という具合に、名前はいつまでもついてまわる、のです、マスター。 はしょらずに毎日ご飯は炊いてください。

Friday, September 18, 2009

グエンでなくグウィンという名

重大な間違いをしていた。考えもせず、当たり前のように 「グエン」と思いこんでいたが、「グウィン」と発音するのだった! 

 ある日、電話がかかってくる。 「私、グウィンよ」と。初めてなのに何故か親しみを感じて とめどない話をする。不思議な名前の由来も聞く。 グウィンのロマンティックな話を聞いて昔親友だったティーニを 思い出す。 

 ティーニはインドネシアからやってきた。ボーイという不思議な 名前のフィアンセがいていつも彼の話をしていた。 ティーニのデートの話にみんな惹きこまれる。 「で、それからどうなったの?」 「みんな、もう少し大人になったら話してあげる」 年は同じなのに、婚約しなくてはわからないこともあるのだ、と 彼女は言った。

 ティーニは慣れない日本語でしかも授業も日本語で受けていた。 働きながら勉強していたので、出される課題もこなすのが大変に なっていた。 やがてティーニは学校を辞めてインドネシアに帰ることになった。

 結婚をもう待てないとボーイさんに言われ自分もそうしたい、と。 ボーイさんは裕福な、政財界の御曹司だった。 二人は豪華客船でハネムーンに出かけた。そろそろ地中海の クルーズにまわる頃と聞いていた頃、知らせが届いた。 

ボーイさんから、ティーニがひどく具合が悪い、と。 それから間もなく、彼女は亡くなった。前から腎臓が悪かった のだけれど急性の腎不全ということだった。幸せの絶頂期に あったはずのハネムーンで。 

 ボーイさんは今頃再婚してインドネシアで要職についている ことだろう。ティーニと私ともう一人の仲間と、そして ボーイさんと4人で撮った写真がある。 ティーニだけはあの笑顔のまま年をとらない。

Friday, August 21, 2009

ノースウェスト、デルタ航空、あれこれ

ノースウェストとデルタ航空が合併してから初めて乗った。 今までノースウェストに乗っていたが、デルタと 合併してからはノースウェストの 名前がいろんなところから消えた。デルタの方が力関係が 大きいと言うことだろう。

 成田の航空会社のラウンジもデルタにとってかわり、置いてある スナックは少し質が良くなって種類も増えた。エアフランスの ラウンジよりほんの少し良いとも言えるかもしれない。 飛行機はビジネス席のブランケットがクイルトに替わった。 ごわごわしていてがさが増え色も濃いベージュで嫌だと 思ったがかなり大きいので身体がすっぽりはいる。

 また今までサービスのスリッパや洗面具は席に着いてから 配られたが今では先に席に置いてある。これはこの方が 効率も良い。デルタになったのだからNWのクルーはさぞ 緊張しているかと思いきや、おしゃべりくせは変わらず サービスの悪さも変わらず。 

 機内の食事はサラダ前菜は NW時代のほうが良かった。メインディッシュはデルタの 方が良い。デザートは変わらず。機内はきれいになった。 というよりNW時代はひどいきたなさだった。ビジネスでさえ 床がよごれトイレのよごれも放置されていた。少し機内の 状況に気を配るようにはなったのだろうか。

 NW/デルタで良いのは離着陸時の機内の状況に大らかなことだ。 全日空、ヴァージンアトランティックは規則とばかりに ブランケットも取り上げるし(どんなに寒くても)、どんな 小さなバッグも新聞もなにもかも片付けてしまう。

クルーは はやばやと着席して誰も動いてはならぬ、という具合に ただひたすら着陸を待つ。いやでも緊張感を高める儀式みたいだ。 NWはクルーは直前まで歩き回る。ショルダーバックくらいは 足下にころがっていても何も言わない。すっぽりとブランケットに くるまっていられる。

KLMもNW系だ。杓子定規で応用・機転が 利かないよりおおざっぱな方が私には合っている。 食事に関してはどの航空会社でも全く食をそそらない。 KLMの時は食事がホテルオークラだというので少し期待けれど 全くの期待はずれだった。

でもどこよりも評判を気にしているようで しばしばビジネスクラスに会社の「偉い人」が乗ってきて ひとりひとりに自己紹介し、機内のサービスはOKか、何か 気になることはあるか、これからもよろしく、と挨拶していく。

 結局どの航空会社でも食事には全く期待できないと いうことを飛行機にのるたびに実感する。 空港でピザを一切れ買って乗る方がよっぽどおいしい。 食べるものにもサービスにも期待できないとするとひたすら 眠る努力をするしかない、

とすると欧州路線なら ヴァージンアトランティックのビジネスが一番良い。 かなり幅はせまいけれど全く平らのベッドで羽布団だ。 しかも運が良ければ肩マッサージの順番がまわってくる。 それにショーファーサービス(送り迎え)が付く。 とはいえ10数時間もブロイラーのようにベルトして 食べるだけの状況は気持ちの良いものではない。 できることなら飛行機に乗らないのが一番良い。 というのが結論です。

ハンス・コパー展-2

ハンス・コパー展がやってくる!兵庫陶芸美術館で9月から。 今でこそちらほらコパーの記事がでてくるがほんの2,3年前までは ほとんど情報はなく名前を知っている人も少なかった。

 私はルーシー・リーが好きでそこから必然的にコパーを知った。 何だろう何だろうこの形は、と調べる内にどんどん 好きになった。心を射るというか見つめずにはいられない形。

 ルーシー・リーは静寂の美という展覧会が生誕100年にあった。 トロントのがーディナー美術館でも100年展があった。 もちろん1989年三宅一生氏のルーシー・リー展がある。 三宅氏は今年も21_21でルーシー・リーとジェニファー・リー のうつわ展を開催した。来年は国立新美術館でルーシー・リー展 が開かれる。

まるで大きな波のように次々と開かれる ルーシー・リー展。それだけ人気が大きいのだろう。 それにしても同展は「没後初の本格的回顧展」とうたっている。 過去の展覧会を無視しているのは意図的?かしら。 まあ、美術館同士の面目みたいなものがあるのかもしれない。 ブームのようにとりあげられるルーシー・リーに対して ハンス・コパーはまだまだ日本では知られていない。 けれど陶芸界はいうに及ばずもっと広い美術界に大きなショックを 与えるのはハンス・コパーだろうと思う。

その作品の独創性 ピュアな形状。ストイックな生き方。他に類を知らないほど 特異な作家と思う。一番好きなのはキクラデスと呼ばれる 緊張感溢れる作品。あくまで静謐にそこに在る。 ニューヨークの知人とコパー作品の魅力を語り出したら二人とも とまらなくなった。

彼を表して最も適切な言葉、と 一致したのは purity という言葉だった。生き方も作品も。 今の多くの作家達のこれ見よがしな作品はコパーの作品の 前では色あせて見えてしまう。

こういったら身も蓋もないかも しれない。でも出ては消える作品の山の中で、やはり コパーは確実に深さが違うと思う。好き嫌いのレベルを超えて。