京都の街は好きだけれどそこに住む人は嫌い、と私が言う。
彼女は故郷から遠いところに住みたかった、という。
京都で懐石とうたっている小さなお店に入ったことがある。
いつも泊まるホテルの近く、四条烏丸からほど近い
割烹いしいというカウンター席の小さな店だ。
飲んべえの友人とそこで待ち合わせしていた。
お昼も食べていなかったのでこのままつきあうにはちょっと
しんどい。友人が来る前にお茶漬けかなにか
少しお腹に入れておこうと思いメニューに
でているご飯物について聞いた。
奥さんらしい人がお手ふきを出してくれたところだったが
ご飯は、、、と聞くなりマスター(シェフというのか?)が
急に声を荒げて
「うちはそんなんじゃないから!」
という。
「え?そんなんじゃ、って?」
意味が分からなかった。
「うちはそういう店じゃないから。困るんだよ」
と、出て行けという仕草。
「食事じゃないんだよ、うちは」
待ち合わせと言い出す気力もなく追い出された。
まさに追い出された、不思議な気持ちだった。
ネットで割烹と書いてあるからには食事もできるのではないか?
飲み屋専門。食事お断り。と書くべきでは?
友人の携帯にいきさつを話して角の道で待つ。
「どうしたの。追い出されたの?」
何か悪いことをしたんだろうか、とショックな私。
他の店に行くことにして二人で「いしい」の前を通ってみる。
半分開けてあった入口は1/3に閉じてある。
私のような勝手のわからない一見さんが来るのを
避けるためだろう、と友人。
「ちょっと京都で修行をすればもう京都料理、割烹、と
宣伝するんだよ、京都料理とすれば格が上がると思うんだろう。
本当の格式のある料理やはそんな待遇をしないよ」
「夫婦げんかでもして虫の居所が悪かったんじゃない?」と
慰められる。
東京の人間は全くこだわりがないのに京都の人は
常に「東京なんか、、、だろう。京都は、、、だ」と言う。
自分たちが世界で一番だと思い、自分たちの世界で完結している。
と思っている。
世界は広いのにそれを知らない。
一生をそうやって過ごせばそれはそれで良いのかも知れないが。
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