これを読んでマーク・ローランズの「哲学者とオオカミ」に
出ていたエピソードを思い出した。
マーク・ローランズの
「哲学者とオオカミー愛・死・幸福についてのレッスン」
は4月に発売されて6月には再版となった本だ。
売れるはずもないと思われて少部数発行したけれど
朝日新聞の書評に取り上げられて急遽日の目を見た
幸運な本だ。
いかに人々が(私を含めて)オオカミという動物に
魅せられるかということだろう。この著者の体験した
オオカミとの暮らしはなんと貴重で輝かしくうらやましく
思えることだろう。
哲学などと言わず、単純にこの気高きオオカミ、ブレニンの
物語を語って欲しいと何度途中で願ったことだろう。哲学
はいらない、著者の考察はもういい、ブレインンは今日起きて
何をしたのか?何が起こったのか?起こらなかったのか?
誰と出会ってそれはどのような出会いでブレニンは何と
答えた(オオカミ語で)?
もっとブレニンの写真を見たい、エピソードを聞きたい、
と思いながら欲求不満の残る気持ちで読み進め、そして
最後に理解した。
この著者は哲学的考察ぬきでブレニンの
物語を書くことはできなかったのだ、ということを。
別れが辛すぎて、生身のブレニンを思い出すひとつひとつの
出来事を、そのまま綴るにはブレニンを愛しすぎていたのだと。
この中で様々な出来事が哲学的考察として取り上げられる。
その一つに、恐ろしい拷問装置を心理学の名の下に発明した
ハーバード大学のR.ソロモン、L.カミン、L.ワインの実験が
記されている。
中を仕切り板で分けた箱に犬を入れ、足に強い電気ショックを
与える。それを逃れようと犬は仕切りを飛び越えて、隣の区画に入る。
この過程が数百回も繰り返され、仕切りはだんだん高くされるが
それをついに飛び越えられず犬は電流の流されている床に
落下する。
別の実験では両方の床に電流を流す。犬はどちらの区画にジャンプ
しようと電気ショックを受ける。それでもあまりに痛みが
激しいので、無駄な試みではあっても区画の一方から他方へと
ジャンプし続けた。
そして犬たちは「先を見越したかのように鋭いきゃんきゃん声を」
出し、最後は尿と糞を垂れ流し悲鳴をあげ、ふるえ、消耗しきって
床に横たわる。これは「学習性無力感」という鬱病モデルを
構築するために考えられたという。
これを読みながら胸が苦しくなる。このような拷問が学問の
名の下に許される。
この実験と同じようなものが日本の大学の壁のなかで繰り返され
しかもそれは「科学物質の影響調査に一役」という
高尚な学問実験として記事になるのだ。いのちの重さは、、と
思いながら、それでもこの犬でなくて良かった、と思う自分がいる。
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