Monday, May 17, 2021

宇宙ステーションから帰還のニュースで

2009/07/31 20:32

宇宙ステーションから若田さんが帰ってくる、とニュースが伝えている。 何度も何度も同じこと同じ映像同じレポートを繰り返している。 これはたぶんすごいことなのだろう。偉業ということでは その通りなのだろうけれど、でもいいかげんに他のことを報道したら? と思う。

 一人宇宙に送るために政府はどのくらいの費用をアメリカに 貢ぎ続けているのだろう。想像も付かない巨額な資金を アメリカに提供していることだろう。そのお金があったなら どのくらいの子供達を飢えや寒さやゴミ拾いから守れるだろう、 とつい思ってしまう。  これから増えていく莫大な数の老年人口が せめて不安のない生活をできるようになるだろう、などと 考えてしまう。

 そんな気持ちでいたら、実際にかつて毛利さんが宇宙に行ったとき、 そのニュースに大きく感動した、心ときめかせた、という人に会った。 中学の時にそのニュースによって宇宙への夢をもったという。 そうか、実際にそういうこともあるんだ。このニュースで夢を持つ子供も いるのかもしれない。 ただ、、、とそれでも思う。このお金の幾ばくかが、人の命に かかわるところに使えたら。

Sunday, May 16, 2021

ヘミングウェイ 武器よさらば




ヘミングウェイの『武器よさらば』を、光文社古典新訳文庫の金原瑞人訳で読んだ。

最初からひどく戸惑った。
主人公のフレデリック・ヘンリーに自分のことを「おれ」と言わせている。

これはどうしたって「ぼく」だろう。そのことだけで高見浩訳に軍配が上がる。
主人公のたたずまい、仄めかされる過去、恋人との出会い方、雰囲気。それらすべては「ぼく」「ぼくら」がごく自然に響く。

それらから見えてくる姿は「おれ」では決してない。戦場の荒くれ兵士のなかにあっても
全体を通すとやはり「ぼく」だ。

ただ、金原訳が翻訳として極めて優れているのは最終章で妻キャサリンが亡くなったあと、フレデリックが一人病院を去る描写だ。

高見訳では
しばらくして廊下に出ると、僕は病院を後にし、雨の中を歩いてホテルにもどった。

同じ箇所を金原訳は
しばらくして、部屋を出た。病院を後にすると、ホテルまで歩いてもどった。雨が降っていた。

これは後から訳した者がどうしたって恩恵を受ける、ということがあるだろう。先訳を参考にできるからだ。それにしても見事な終わらせ方だ。主人公が妻の死に呆然としながら雨の中を一人歩く姿に、最後の一行「雨が降っていた」がすべてを語る。

なかみについてはまた別の機会に記したい。

Friday, March 02, 2012

朝日新聞編集委員田中三蔵さんの美術レビュー

朝日新聞の美術担当編集委員の田中三蔵さんが亡くなったと28日の朝刊に載っていた。

田中さんの美術レビューは逸品だった。どの文章を見ても、書き始めで、ああ、これは三蔵さんの文章だとわかる。ドラマティックな表現に長けている人で私は彼の文章が大好きだった。

ドラマティックといっても大げさという意味ではない、この絵にはどんなドラマがあるだろう、この作家にはどんな人生があるだろう、と読む者の想像を限りなく膨らませる、そんな気持ちを喚起させる文章だ。そしてその視点の鋭さは時に息を呑む程的確でユニークなものだった。

始めて朝日新聞に記事を書いたとき、三蔵さんから「美術分野であっても記事の書き方は逆三角形にするんです、最初に言いたい事を。そしてその説明をそのあとに続ける」と教わった。
彼の後輩となる美術担当の記者と話した時、三蔵さんの書き方は昔風、と言っていた。また、彼のいう「逆三角形」は事件などを取り上げる時の書き方で、美術を論ずる時はもっと別の書き方がふさわしいこともある、ということだった。でもそれで三蔵さんの文章のすばらしさは格別だ。

例えば、藤井健仁展/ギュンター・ユッカー展レビューはいつものように魅力的な導入で書き出される。(2004年8月26日田中三蔵)
   
 「裁き」と「ゆるし」。そうしたものが交錯する個展を二つ見た。人間同士が傷つけあう行為が絶えない今、どちらも緊迫感に満ちた空間になっていた。
  ひとつは「藤井健仁展」。67年生まれの藤井は、鉄の抽象彫刻と、人体や動物をユーモラスにも不気味にも見えるように変形した作品との、二種の作品群を生み出してきた。「彫刻刑 鉄面皮」という副題を持つ今展は、鉄板をバーナーで熱しながらハンマーでたたいて形作る肖像、「顔彫刻」のシリーズ17点を展示している。モデルは米国のブッシュ大統領と思える「GWB-2」(04年)=写真上=や小泉首相ら内外の政治家のほか、麻原彰晃ら刑事裁判の被告人、ひとくせあるスポーツ選手やタレントら。頭文字を題名としている。9体は、まるでさらし首のように台上に並べている。
  社会全般が「悪」とみなしているものに対する敵意。カリスマ性をはぎ取る意思。それらを毒々しく表現するのはもちろんだが、必ずしも一方的、熱狂的な断罪ではない。鉄という素材そのものが持つ武骨な表情が、善悪を超えた多様な人間の在りようを暴く。どこかゆるしを生み、愛情すら感じさせる。十分執行猶予をつけた判決だ。こちらは他者を裁いているけれど、巡回中の「ギュンター・ユッカー 虐待されし人間」展が裁く対象は少し違っている。ユッカーは、30年生まれの美術家。東ドイツで美術家として出発し、53年に西ドイツへ移住した。たくさんのくぎを打ち付けた絵画や彫刻で知られ「釘(くぎ)男」とあだ名される。今展は92年から93年にかけて制作された彫刻や絵画を中心に15点。第2次大戦時の体験などを下敷きにしているであろう静かで重い作品群は、現在も訴求力を失っていない。会場全体が「自画像」だ、と作者自ら説明したという。びっしりとくぎを打ち付け
た作品がある。「道具、傷、包帯」=写真下の右=のように拷問の責め具を連想させる作品もある。加害者にもなりうる自らをも責めていると見える。人は傷つきやすく、傷つけやすい。人間存在をそうとらえた自責、自虐。しかし、どこかで作者は祈り、ゆるしを求めているとも感じられる。制作する行為自体が贖罪(しょくざい)の儀式なのか。

常に鋭くしかし温かい目で物事をとらえ、読む人の心を深く思考させた。もう新たな彼の文章を読む事は出来ないとは寂しい限りだ。



Tuesday, February 28, 2012

ニーチェの馬







ハンガリーの監督、タル・ベーラの『ニーチェの馬』を見た。

難解、または思い込み、または独りよがり。

風の吹きすさぶ道を身体の手入れもしてもらっていない馬に荷車を引かせて男がひたすら進む。荒れ狂う風の中、右手の利かない男とその娘は一日中石造りの家の中。食べ物はゆでたジャガイモだけ。

途中で嵐の中、近くの男が酒を借りにくる。一人でしゃべりまくる。お説教じみた、主張の激しい、この男の台詞はあまりにイデオロギー的、露骨に響く。

音楽がまた見る者の神経を逆撫でする。これでもかこれでもか、と襲いかかる。いやらしい。これがバッハの無伴奏だったらどんなに違った映画になる事だろう。バックに流れるバッハを想像する。すると全く異なるさらに非情な、けれど神経を逆立てない、もっと素直で深遠な世界が見えてくる。

ようするに私はこの映画が好きでない。好きではないがバッハで見たかったと思う。

「私たちはこれまで人生について語ってきました。これが、最後の言葉です。何かそれについて、本質的なことを伝えたかったのです。人は人生を生きる中で、朝起きて、食事をとり、仕事に行く。いわばルーティーンというような日常を歩むのですが、それは毎日同じではないのです。人生の中で、我々は力を失くしていき、日々が短くなっていきます。これについて、人生はどう終わるのかについて触れる映画を作りたかったのです」と監督は語っている(映画.comより)。

生きて死ぬ。その当たり前の事、それをこの映画は問いかけ続ける。人間とは何か、生きるとはどういうことか。考え続けずにはいられない。この問いが、見終わったあとの心に深く深く沈み込む。心の底に淀む。そういう意味では監督の意図が成功していると言えるのかもしれない。

これが撮影された場所はいったいどこだろう。いつもこんな風が吹き続けるのだろうか。いつか、パタゴニア平原ではいつも強風が吹き荒れると読んだことがある。この映画は南米ではあり得ず、ハンガリーかルーマニアかヨーロッパの寒村なのだろうけれど、気候風土が人間を形作って行く、という言葉を思い出した。



Thursday, February 09, 2012

ヴィクトリア&アルバート美術館、ハンス・コパーの文章

ハンス・コパーの遺した唯一の文章がヴィクトリア&アルバート
美術館のカタログにある。織りのピーター・コリングウッドと
二人展を開催したときのものだ。
それをふとした機会にあるブログで見つけてあきれてしまった。
これはトニー・バークスの著書『ハンス・コパー』日本語版に
書かれているそのままの文章が
「ヴィクトリア&アルバート美術館における展覧会カタログに
ハンス・コパーが寄稿した文章(1969年)の和訳」
と題されて
王朝誕生以前のエジプトの器、私の手の大きさでやや卵形の:何千年も前に、おそらく奴隷の手によって作られ、色々な意味で生き抜いてきた。つつましく無抵抗で、どことなくこっけいなーしかし力強く神秘的で官能的だ。

何かを伝えるのではなく、自己表現をするわけでもないが、しかし作り手とその生きた時代の人間世界を内包し映し出しているように見える。微かな力で、そして敬意を込めて。「人間」によって作られた完璧に無駄のない物体。ジャコメッティの人物像。バックミンスター・フラーの人間。普遍のもの。

私を真に魅了したのはこの器だけだ。それは私が器を作る理由ではないが、しかしそれは人とは何かをかいま見せてくれる。

・・・・・

・・・・・

と日本語版そのままが書かれていた。常識として、出典や引用元を
記載せずに載せたら「盗用」とされるのではないか?
これはこのブログの Rhohei Noda と書かれている人のみ
ならず、広く行われているようだ。著名な建築家のブログにも
同じようにあるブログの写真はもとより、文章まで自分のものの
ように記載されている。
なんともみっともない、と思う。しかもそれをあたかも
美術評論のように載せている。実際は様々なブログや記事
からの寄せ集めであるにもかかわらず、書いていて
自分が評論をしていると勘違い、すなわち
美術に貢献しているような錯覚に陥ってしまうのだろう。

Saturday, January 14, 2012

グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独



















ニューヨークの犬たち(グールドとは関係ない)



グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独を見た。
ピアノ演奏のなかにグールドのうなり声が多々入っているのが
あるがその謎が解けた。唄まで歌いながら弾いている映像が
出て来たからだ。

彼は天才であるけれど(それ故に)変人である、という
取り上げ方をされてきたが、それが全くの間違いである事が
これでわかる。

人を愛し愛される、時にユーモアがあり、辛辣で、普通の、純粋な、
一人の人間だと。でも天才という事には異論がないだろう。
グールドのゴールドベルク変奏曲を聞いたときの衝撃は
とてつもなく大きかった。そのスピード、解釈の仕方、、、。

コンサートをしなくなってからのテープで聞く彼のピアノは、
実際の録音でなく編集されているのでは、と話題になったことがある。
でもそれはもちろん録音で操作されたものではなくまぎれもなく
彼自身のピアノだった。

途中一カ所気になって残りの映像が十分に楽しめなくなって
しまったことがある。彼がコンサートを止めた後、
いろいろな活動をして、フィルムのプロデュースも手がけたと
英語のナレーションが語っている時
(He was ......while he was learning...だったと思うが)
日本語の字幕が、「、、、彼は走りながら
(それを)行っていたのだ」となっていたことだ。

信じられないが、leaning を running と
訳していた。
意味が全く違ってしまうので最後までそれが気になってしまった。
グールドは走りながら物事をする人ではないのに、、、と。

「学びながら(フィルムのプロデュースを)行っていた」のがスクリプトの
正しい意味だ。
普通はそんなことは気がつかないどうでも良いことかも
しれない。でも気になってしまう。
今度「グレン・グールド 27才の記憶」というビデオを
見てみよう。すばらしい天才の演奏に集中して楽しみたい。

ハンス・コパー

写真は2021年5月掲載(ハンス・コパー展ポスターより)

写真は2021年5月掲載(エマニュエル・クーパー著「ルーシー・リー」より)


NHK日曜美術館ホームページより
ハンス・コパーとルーシー・リーについてのブログが巷にあふれている。2010年と2011年はゴールデンイヤーだった。二人のそれぞれの回顧展が日本全国を巡回して美術誌に記事があふれ、NHKの日曜美術館ではハンス・コパーの特集番組が組まれた。
もちろん二人の展覧会に何度も行った。充実して豊かな年だった。特にハンス・コパーは日本で全く知られていなかったので、こんなに広く紹介されたことは、彼の作品に魅せられている一人として素直に嬉しい。
ハンス・コパーの作品を私も一点持っている。黒い釉薬は何度見ても表情が豊かで深い。それをまとまった数で見られる企画は世界でもまだなされていない。かつでカナダのガーディナー美術館で二人の作品展を見て、またニューヨークのメトロポリタン美術館でも二人の作品展を見た。でも今回の日本における回顧展の規模ではなかった。
特にハンス・コパーは常にルーシー・リーと共に語られていたけれど日本のハンス・コパー展では一人の芸術家として取り上げられていたので世界の陶芸史上でもエポックメイキングな出来事だったと思う。
あふれるブログ類はいかに二人の作品に感銘を受けたかを綴っているけれど、本からの引用を断り無く載せたり、他のブログの写真を載せたり、無茶苦茶だと思う。写真は美術館などのページからもってくることはある程度許される(きちんと記載すれば)かもしれないが、本や他のブログの文章をまるで自分のものとして掲載されているケースがあることに驚いた。それはブログを発表する人にとって最低限のルールと思うのだが。

エスティローダーのメイクアップアーティスト

estee lauder

esteem Lauder make-up artist
(以前のリンクが使えなくなったためこの写真は2021年5月に変更した)



ニューヨークからの帰りの飛行機。隣の男性が前の席のポケットに化粧品らしきものを何種類も並べている。紺の厚手のカーディガン、ブルージーンズ、白いTシャツ。何気ないがとてもおしゃれ。笑顔がとてもチャーミングだ。

自分で手のひらにとったジェロのようなのを私の手にくれるので何か聞くと細菌に効く化粧水という。それでお化粧品関係の方ですかと聞くとエスティローダという。いいメーカーねというとそう、なかなかいいよ、と。来年3月に新色を出すのでその撮影という。撮影というのでカメラマン?と思いきや、自分はメイクアップアーティストなのだと答える。今回は台北と香港に行くけれど一年中旅をしているとのこと。どこの町が好きか聞くとモスクワ、あとはテルアヴィヴ、美しい町だよと。日本はいつも通過するだけという。エスティローダは日本のマーケティングに感心がないのですね、と言うと苦笑い。今晩10時に香港に着き、明日朝7時から仕事、という。名乗った名前を帰ってネットで調べるとエスティローダのまさにこの人だった。

Monday, December 06, 2010

在宅介護 小山市の淳子さん

12月2日、NEWS ZEROというらしい番組。 日本テレビで親の介護をしている 酒井淳子(きよこ)さんという30代の女性のルポを見た。 

 脳梗塞の後遺症で左半身が不自由な父親の介護を 7年間している。呼吸補助器をつけているので 一日2回しかベッドを離れないという。彼女は 夜中でも5回も父の呼び出しベルで介護する。 母親は腰が悪く、介護を娘に頼らざるを得ないという。 どんな思いかと聞かれて 「親の介護の為に娘の人生を狂わせてしまったのではと 思うこともあって、心が痛みます」と言う。 

 今からでも遅くない、なら今すぐ父親を介護施設に入れ 自分は腰のリハビリをするなり娘を解放するべきだろう。 夜中に呼び出されてすぐに返事が無かったときに父が 苦しくて食器を投げつけた、という割れたお皿が 散らばっている。 

 「ちゃんと自分が対応していればこんな思いを させずにすんだのかなって自責の念にかられる」と 淳子さんは言う。 板谷という年配の男性アナウンサーが 「きっと皿を投げた後のお父さんも苦しかっただろうね」 という。 この無責任なアナウンサーの言葉に驚愕する。 これは立派なドメスティックバイオレンスだ。 

板谷アナウンサーは決してこういう言葉を言ってはいけない。 父親になにかあったら貴女に責任があるよ、と 暗に言っていることと同じだ。 それでなくても理不尽な環境で、お前に介護の 責任がありそれから逃れられないと洗脳されている。 誰もそれ疑問ももたずに、なすすべがなくてこの 状況と思っているのだろう。

DVの意識などないに 違いない。けれどこれは立派なDVだ。 娘は自分がこの24時間体制の介護を否応もなく 受け入れざるを得ないと思いこんでいる。父親は 今の状態は楽だろう、施設に入りたくないだろう、 けれどこうやって一人の人生を縛り付ける権利は 全くない。 淳子さんと母親は父を施設に入れるべきだ。そして そうやっても全く貴女はいいんだよ、と誰か 言ってあげなくてはいけない。

自分にすべての 責任があると意識せずに洗脳されている、または 思いこんでいる彼女の意識をまず解放してあげるべきだ。 DVを助長している板谷氏は「親の介護は淳子さんが して当然」という老人男性や社会の無責任を代弁 していて醜い。

父親だって立派にリハビリができる 状態じゃないか。まだ61才だ。何故娘をしばりつけ 状況を改善しようとしないのだろう。 この若さで残りの娘の人生をどうしようとするのだろう。 自分に何かあればお前のせいだ、という罪の意識を 娘に植え付けている。こうやって逃れられない状態に し続けることこそがDV以外の何だろう。 

母親だってすわったきりで 食べるだけの生活から抜け出そうとしない。 娘の意識、親の意識、を変えることが必要と思う。 親子でも個々の独立した人生がある、あるべき、と。

Sunday, October 17, 2010

オールウェイズ・ラブ・ユー

朝日新聞の土曜「be on Saturday」という紙面に「うたの旅人」 というページがある。いつも興味深く楽しみに読んでいる。 

 10月9には映画「ボディガード」の主題歌 「オールウェイズ・ラブ・ユー」が取り上げられていた。 けれど訳の歌詞が間違っている。

 If I should stay I would only be in your way So I'll go But I know I'll think of you every step of the way And I will always love you Will always love you I hope life treats you kind And I hpoe you have all you ever dreamed of And I wish you joy and happiness But above all this I wish you love 

 去っていく女性の感情を表した甘い歌詞の対訳が 「もしいなくてはならないのなら あなたのやり方に従うまでよ 私は行くわ、、、」 となっている(江戸賀あい子氏訳)

 原文最初のパラグラフは正しくは 「もしも留まるとしたら あなたのじゃまになるだけ。 だから私は行くわ」 である。

これは中学の文法だ。わざとかと 思い、読み直すがこれは意訳ではなく全くの 間違いだ。なぜこんな初歩的な間違いが 新聞に載っているのか記者の(というよりデスクの) いいかげんさにただ驚いてしまう。

もちろん訳者の 力量は疑問だ。 興味深いテーマなので楽しみに読んでいるが これほどでたらめで基礎的な間違いはそうあるものではない。 そういう意味でおもしろく読んだが、それにしても ひとつの言葉のニュアンスで、甘く感傷的な歌詞が はすっぱな女性のイメージに変わってしまうことに 驚く。 

 しかもこの誤訳は日本語としてもまったく意味が通らない。 「あなたのやり方に従う」なのに「私は行くわ」 理屈が破綻している。 言葉は道具でしかないが、人と人をつなぐ、 または隔てる威力ある武器だと思う。

Wednesday, August 11, 2010

アレン・ギンズバーグの写真

from National Gallery of Art HP

Beat Memories:
The Photographs of Allen Ginsberg


たまたま行ったワシントンDCのナショナル・ギャラリー・
オブ・アート
のウェストビルディングでアレン・ギンズバーグの
写真展
をやっていた。

アレン・ギンズバーグはビートジェネレーションの詩人だ。

写真を撮っていたとは知らなかった、と思いながら名前に惹かれて入る。
ギンズバーグがジャック・ケロワックを撮っている。日本に来たときの
写真も多数ある。

恋人や近い友人そして自分自身を撮った個人的な写真。

写真展というより写真で表現された詩とも言えるイメージの数々。

と、ここまで書いてきてナショナル・ギャラリー・オブ・アートの
HPを探すと、同じような表現に出会ってびっくりする。

......his pictures are far more than mere historical documents.
The same ideas that inform his poetry—an intense
observation of the world......

とある。とすれば私のような感想を見る人に抱かせることを
意図した展覧会だったのだ。美術館の奥まったせまい空間
だけれど写真や資料は7〜80点あって、ビート世代を
知らなくてもなんだかとても懐かしい時代を感じさせる。

いつの時代にあっても、振り返ってかつて若かった頃の自分を
思い起こさせるような写真なのだ。1950年代から1990年代まで。

彼は

"I do my sketching and observing with the camera."

Allen Ginsberg, 1993

と言っている。

"certain moments in eternity”

を捉えようとした写真はほのかなほろ苦さと率直さと
そして何よりも物憂さとエネルギーと。

Thursday, August 05, 2010

哲学者とオオカミ

「学習能力抜群天才ラット」東海大、30年で95世代交配、と タイトルにある記事を読んだ。 「天才」は、30秒ごとにレバーを押さないと軽い電気ショックを 受ける実験で、学習能力の高かった個体同士を繰り返し、交配 してつくった、とある。 

 これを読んでマーク・ローランズの「哲学者とオオカミ」に 出ていたエピソードを思い出した。 マーク・ローランズの 「哲学者とオオカミー愛・死・幸福についてのレッスン」 は4月に発売されて6月には再版となった本だ。 売れるはずもないと思われて少部数発行したけれど 朝日新聞の書評に取り上げられて急遽日の目を見た 幸運な本だ。 

 いかに人々が(私を含めて)オオカミという動物に 魅せられるかということだろう。この著者の体験した オオカミとの暮らしはなんと貴重で輝かしくうらやましく 思えることだろう。 哲学などと言わず、単純にこの気高きオオカミ、ブレニンの 物語を語って欲しいと何度途中で願ったことだろう。哲学 はいらない、著者の考察はもういい、ブレインンは今日起きて 何をしたのか?何が起こったのか?起こらなかったのか? 誰と出会ってそれはどのような出会いでブレニンは何と 答えた(オオカミ語で)? もっとブレニンの写真を見たい、エピソードを聞きたい、 と思いながら欲求不満の残る気持ちで読み進め、そして 最後に理解した。

この著者は哲学的考察ぬきでブレニンの 物語を書くことはできなかったのだ、ということを。 別れが辛すぎて、生身のブレニンを思い出すひとつひとつの 出来事を、そのまま綴るにはブレニンを愛しすぎていたのだと。 

 この中で様々な出来事が哲学的考察として取り上げられる。 その一つに、恐ろしい拷問装置を心理学の名の下に発明した ハーバード大学のR.ソロモン、L.カミン、L.ワインの実験が 記されている。 中を仕切り板で分けた箱に犬を入れ、足に強い電気ショックを 与える。それを逃れようと犬は仕切りを飛び越えて、隣の区画に入る。 この過程が数百回も繰り返され、仕切りはだんだん高くされるが それをついに飛び越えられず犬は電流の流されている床に 落下する。

 別の実験では両方の床に電流を流す。犬はどちらの区画にジャンプ しようと電気ショックを受ける。それでもあまりに痛みが 激しいので、無駄な試みではあっても区画の一方から他方へと ジャンプし続けた。 

 そして犬たちは「先を見越したかのように鋭いきゃんきゃん声を」 出し、最後は尿と糞を垂れ流し悲鳴をあげ、ふるえ、消耗しきって 床に横たわる。これは「学習性無力感」という鬱病モデルを 構築するために考えられたという。 

 これを読みながら胸が苦しくなる。このような拷問が学問の 名の下に許される。 この実験と同じようなものが日本の大学の壁のなかで繰り返され しかもそれは「科学物質の影響調査に一役」という 高尚な学問実験として記事になるのだ。いのちの重さは、、と 思いながら、それでもこの犬でなくて良かった、と思う自分がいる。

Monday, August 02, 2010

汐留ミュージアムのハンス・コパー展

先週またハンス・コパーに会いに行った。LEDの紹介記事も新聞に あったので、もう一度作品たちの表情を見たかった。

 ハンス・コパーの作品では光と影が大きな役割をしていると思う。 同じ黒なのに光があたるとさまざまに繊細な表情を表す。影は シルエットを浮かび上がらせ、影になる黒は暖かい。そんな 表情が好きだ。

 LED照明のもとで作品は下からもほのかな光を受けて、 作品は自身の影をもたず、暖かい光に納まって見える。 この見せ方は作家の望む物だろうか、とふと思う。 光は優しく暖かくそっと作品を包む。光にくるまってなんだか 大いなる者の恩寵にいだかれているかのようだ。

 コパーの生涯を知るとき、この、外部からの暖かさは あまりピンとこない。なんだか作品がくすぐったがっているように 思えてしまう。 鋭く緊張感にあふれた研ぎ澄まされた空気のなかにおかれてこそ (それはコパーの作品が醸し出すものでもある そういった空気)作品が生き生きと語りかけてくる気がする。

 静謐な、微動だにしない、時を経た、静寂の世界からの 作品たちの言葉は光と影の中でこそ発せられ会話されるように思う。 一人よがりの感想だと自分でも思うけれど。

京都の街は好き。そこに住む人は嫌い。

イギリスの片田舎で会った人と京都の話になる。 彼女は関西出身でイギリスに20年住む。 

 京都の街は好きだけれどそこに住む人は嫌い、と私が言う。 彼女は故郷から遠いところに住みたかった、という。

 京都で懐石とうたっている小さなお店に入ったことがある。 いつも泊まるホテルの近く、四条烏丸からほど近い 割烹いしいというカウンター席の小さな店だ。 飲んべえの友人とそこで待ち合わせしていた。 お昼も食べていなかったのでこのままつきあうにはちょっと しんどい。友人が来る前にお茶漬けかなにか 少しお腹に入れておこうと思いメニューに でているご飯物について聞いた。

 奥さんらしい人がお手ふきを出してくれたところだったが ご飯は、、、と聞くなりマスター(シェフというのか?)が 急に声を荒げて 「うちはそんなんじゃないから!」 という。 
「え?そんなんじゃ、って?」 意味が分からなかった。 「うちはそういう店じゃないから。困るんだよ」 と、出て行けという仕草。 「食事じゃないんだよ、うちは」 

 待ち合わせと言い出す気力もなく追い出された。 まさに追い出された、不思議な気持ちだった。 ネットで割烹と書いてあるからには食事もできるのではないか? 飲み屋専門。食事お断り。と書くべきでは? 

 友人の携帯にいきさつを話して角の道で待つ。 「どうしたの。追い出されたの?」 何か悪いことをしたんだろうか、とショックな私。 他の店に行くことにして二人で「いしい」の前を通ってみる。 半分開けてあった入口は1/3に閉じてある。 私のような勝手のわからない一見さんが来るのを 避けるためだろう、と友人。

 「ちょっと京都で修行をすればもう京都料理、割烹、と 宣伝するんだよ、京都料理とすれば格が上がると思うんだろう。 本当の格式のある料理やはそんな待遇をしないよ」 「夫婦げんかでもして虫の居所が悪かったんじゃない?」と 慰められる。

 東京の人間は全くこだわりがないのに京都の人は 常に「東京なんか、、、だろう。京都は、、、だ」と言う。 自分たちが世界で一番だと思い、自分たちの世界で完結している。 と思っている。 世界は広いのにそれを知らない。 一生をそうやって過ごせばそれはそれで良いのかも知れないが。

Sunday, May 16, 2010

ルーシー・リーの器

photo: Craft Study Centre



国立新美術館に行った。駅に大きなルーシー・リー展のポスターが 貼られてから一ヶ月。予想はしていたがかなりの人が入っている。 250点もの作品が展示され、釉薬ノートや注文の手紙など資料も ある。 ボタンの部屋は何故あんなに暗く展示されているのだろう。 陶製だけでなくガラスのボタンも展示。あまりに数が多く もういい、と思う。人も多くて暗いのは苦手。途中で抜け出してくる。 白の花生けを集めたコーナーはとても美しい。あの小柄な ルーシー・リーがこんな大きなものを作ったのかと改めて思う セインズベリーセンターのコレクションからの60cm以上も あろうかと思われる白の花器。 小振りな、思わず手に乗せたくなるカップ&ソーサー。鉢。 やはり食器類はいかにも使ってみたくなる。 ウェッジウッドのコーヒーカップのプロトタイプ。繊細で シンプルでジャスパーウェアの美しいブルー。ブルーはいかにも 「イギリス」なのだが、まるでウィーンの濃いコーヒーが 香ってくるようだ。 ピンクの掻き落としや緑の鉢、色の作品を集めた最後の部屋。 数が多いと言うだけでなく種類も豊富で見応えがあった。 大きく引き延ばされたルーシー・リーの工房の写真。 50年代と思われる作品のならんだ棚の写真。ハンス・コパーが ルーシー・リーの足を押さえている写真。工房前に二人が 立っている写真。人がいなければじっとすわってルーシー・リーの 器に囲まれてルーシー・リーの空気を感じていたい、と思わず 思う。