Friday, March 02, 2012

朝日新聞編集委員田中三蔵さんの美術レビュー

朝日新聞の美術担当編集委員の田中三蔵さんが亡くなったと28日の朝刊に載っていた。

田中さんの美術レビューは逸品だった。どの文章を見ても、書き始めで、ああ、これは三蔵さんの文章だとわかる。ドラマティックな表現に長けている人で私は彼の文章が大好きだった。

ドラマティックといっても大げさという意味ではない、この絵にはどんなドラマがあるだろう、この作家にはどんな人生があるだろう、と読む者の想像を限りなく膨らませる、そんな気持ちを喚起させる文章だ。そしてその視点の鋭さは時に息を呑む程的確でユニークなものだった。

始めて朝日新聞に記事を書いたとき、三蔵さんから「美術分野であっても記事の書き方は逆三角形にするんです、最初に言いたい事を。そしてその説明をそのあとに続ける」と教わった。
彼の後輩となる美術担当の記者と話した時、三蔵さんの書き方は昔風、と言っていた。また、彼のいう「逆三角形」は事件などを取り上げる時の書き方で、美術を論ずる時はもっと別の書き方がふさわしいこともある、ということだった。でもそれで三蔵さんの文章のすばらしさは格別だ。

例えば、藤井健仁展/ギュンター・ユッカー展レビューはいつものように魅力的な導入で書き出される。(2004年8月26日田中三蔵)
   
 「裁き」と「ゆるし」。そうしたものが交錯する個展を二つ見た。人間同士が傷つけあう行為が絶えない今、どちらも緊迫感に満ちた空間になっていた。
  ひとつは「藤井健仁展」。67年生まれの藤井は、鉄の抽象彫刻と、人体や動物をユーモラスにも不気味にも見えるように変形した作品との、二種の作品群を生み出してきた。「彫刻刑 鉄面皮」という副題を持つ今展は、鉄板をバーナーで熱しながらハンマーでたたいて形作る肖像、「顔彫刻」のシリーズ17点を展示している。モデルは米国のブッシュ大統領と思える「GWB-2」(04年)=写真上=や小泉首相ら内外の政治家のほか、麻原彰晃ら刑事裁判の被告人、ひとくせあるスポーツ選手やタレントら。頭文字を題名としている。9体は、まるでさらし首のように台上に並べている。
  社会全般が「悪」とみなしているものに対する敵意。カリスマ性をはぎ取る意思。それらを毒々しく表現するのはもちろんだが、必ずしも一方的、熱狂的な断罪ではない。鉄という素材そのものが持つ武骨な表情が、善悪を超えた多様な人間の在りようを暴く。どこかゆるしを生み、愛情すら感じさせる。十分執行猶予をつけた判決だ。こちらは他者を裁いているけれど、巡回中の「ギュンター・ユッカー 虐待されし人間」展が裁く対象は少し違っている。ユッカーは、30年生まれの美術家。東ドイツで美術家として出発し、53年に西ドイツへ移住した。たくさんのくぎを打ち付けた絵画や彫刻で知られ「釘(くぎ)男」とあだ名される。今展は92年から93年にかけて制作された彫刻や絵画を中心に15点。第2次大戦時の体験などを下敷きにしているであろう静かで重い作品群は、現在も訴求力を失っていない。会場全体が「自画像」だ、と作者自ら説明したという。びっしりとくぎを打ち付け
た作品がある。「道具、傷、包帯」=写真下の右=のように拷問の責め具を連想させる作品もある。加害者にもなりうる自らをも責めていると見える。人は傷つきやすく、傷つけやすい。人間存在をそうとらえた自責、自虐。しかし、どこかで作者は祈り、ゆるしを求めているとも感じられる。制作する行為自体が贖罪(しょくざい)の儀式なのか。

常に鋭くしかし温かい目で物事をとらえ、読む人の心を深く思考させた。もう新たな彼の文章を読む事は出来ないとは寂しい限りだ。



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