Wednesday, October 31, 2007
ハンス・コパー
日本語版「ハンス・コパー」表紙 日本語版「ハンス・コパー」裏表紙
Hans Coper. ハンス・コパー、いうまでもなくハンス・コパーはイギリスの
陶芸作家。20世紀の3大巨匠に数えられる。あとの二人はルーシー・リーと
バーナード・リーチだ。
ハンス・コパーとルーシー・リーは共にナチスを逃れイギリスに亡命している。
ハンス・コパーはドイツから、ルーシー・リーはオーストリアから。
ロンドンのアルビオンミューズに小さな工房を構えたルーシー・リーのもとへ
仕事を求めてやってきたハンス・コパーが訪れる。それ以来ハンス・コパー
が亡くなる1981年まで二人はお互いに強い影響を与え会いながらそれぞれの
作品を作り続けた。
二人のまれにみる親密で長いパートナーシップは人々の関心を引きつけてきたが
それはまた別に書こう。今紹介したいのはハンス・コパーについての本だ。
ハンス・コパーについては陶芸家でもあるトニー・バークスが唯一ともいえる
伝記作品集「ハンス・コパー」と「ルーシー・リー」を著している。その
表紙デザインは、フランクフルトブックフェアで最も美しいとして賞を
獲得しているという。確かにシンプルで淡いブルーがかったバックに作品を
置いた透明感のある表紙で非常に美しい。
最新の英語版と同時に出版された日本語版「ハンス・コパー」は同じ
表紙で同じデザインだ。
ところが最近出版されたフランス語版を見てショックを受けた。オレンジの
フォントでタイトルを、また裏表紙もオレンジを使った大胆なデザインだ。
表紙はハンス・コパーの妻ジェイン・コパーの撮った、作品の写真をカット
している。
日本語版・英語版がシンプルで静寂を思わせる美しさの一方、フランス語版は
「動」と優れたデザイン力を感じさせる。しかも内容やハンス・コパーの
作品をきちんと理解したうえでデザイン構成がなされているとわかる。
ふーん、これがフランスなんだ、と感じた。日本語版・英語版の
「ハンス・コパー」は美しい。静かで凜としている。一方フランス語版は動だ。
大胆なデザインで見る人を惹きつける。
どちらもすばらしい。でもフランス語版はそのデザインによって完全に
「フランス語版」になっているという意味で一歩先をいっている気がする。
Sunday, September 16, 2007
桂 銀淑の声 - 「都会の天使たち」
何年かアメリカでくらして日本に帰ってきた頃。ふと聞こえてきた歌の声に
心がくぎづけになった。
ハスキーなというよりしゃがれているという表現の
ほうがあたっているような太い女性の声。
かなり以前テレビではやったドラマの主題曲という。
なんとかユンシュクという韓国の歌手、と友人に教わり紀伊国屋の2階にある
レコードショップへいく。
なんとかユンシュクという、、、と聞いたらすぐにその歌手のコーナーに
案内してくれる。
なんだ、聞けばすぐわかるくらい有名な歌手だったんだ。
「堀内孝雄ベスト・ソング集」デュエット:桂銀淑。
そう、この声だ。
演歌は歌詞が陳腐のうなり節。と思いこんでいた(はて、これは演歌では
ないのだったか?)。まあ分類はどうでもいい。でも陳腐と思いこんでいた
そんな種類の歌でこんな声に出会えた。
しかも歌詞までなかなかいい。
「瞳を閉じれば
幼い昔へ 誰でも帰れる
せめて愛する人が 隣にいたら
夢の中まで 連れていけるはず、、、」
思わず引き込まれる声との出会いはほとんど瞬間的だ。
堀内孝雄の
「この都会に 眠りの天使たちが」
に続いて
「遊びに疲れて」と彼女の声が聞こえるとき思わず全神経を研ぎ澄ましてしまう。
やはり心を震わせる声というのは受け手の生理的なものだろう。
顔かたちや性格、しぐさ、笑い方、話し方、その人の持つ空気。
これらはたったひとつを取り上げてその人の全体を判断することはない。
けれど、声は瞬時に身体が拒絶したり受け入れたりする。
桂銀淑の声は心をとらえて離さない。もっと聞きたい、といつも思う。
さびれた声。しゃがれた声。低く太い声。
テレサ・テンの透明感あふれる声
高い声、細い声、いわゆるきれいな声、は苦手だ。
私のベクトルの中で最も苦手なのは高く細い声。
パバロッティの声は「高い太い」で、苦手な中の例外だ。
彼の声は、私にとっては声そのものがそういった分類にあてはまらない
魅力にあふれる声質と言える。
テレサ・テンの声もベクトルでいえば苦手の部類なのだけれど、これも例外。
透明感にあふれている。苦手の最王手、森山なんとかというフォーク歌手の
声や姉妹で童謡を歌っていた歌手の高い声と決定的に違うのは声の質としか
いいようがない。もちろん、私にとっては、ということだ。
テレサ・テンの声には味わいというか、透明感の中に
ふと心をすくわれるような声質がある。ちらりと見せるだけなのだが、
「哀」を感じさせる声の色が発声の瞬間にある。
でも彼女の歌の中には陳腐な歌詞もある。明らかに、男が女にこうあって
欲しいという願望から男の作詞家によって書かれたのだろうと
思うような。
「貴方の色にそまりたい、、」とか「貴方の胸できれいになれた、それだけで
もう命さえいらないわ、、」とか。
こんな言葉を歌っていながら
ことばのすみずみまでていねいに発音した実にきれいな発声をしているな
と思いながら聞いている。
ビリー・ホリデイの歌・詩
I'll be seeing you.
の訳を「貴方に会えるでしょう」
と書いた。
直訳すれば「貴方を見かけるでしょう」「貴方を想像するでしょう」
となるだろう。
けれど亡くなった(または戦争でもどらない)恋人を偲び、
思い出の場所場所で貴方を想像してしまう、そこに貴方を見る、
貴方を見かけるわ、、、。
やっぱり、会える、ではなく見る、かな。
「いつもの街角で、いつものあの小さなカフェで、
貴方を見かけるでしょう。
これからも。
そんな風に貴方を想うの。」
I'll be seeing you
In all the old familiar places、、、
ビリー・ホリデイの声と詩とメロディーとが
完璧に解け合って、おおげさに言えばひとつの時代を語っていると思う。
Friday, September 14, 2007
パバロッティとビリー・ホリデイ
パバロッティが亡くなった。
彼の声は「明るい、元気のでるような」と誰かが書いていたが、
私にとって彼の声は空を突き抜けてどこまでも届くような明瞭な、
けれど元気の出るようなというより心をゆさぶられるような、
というように響く。
「明るい」というよりむしろ「哀愁をおびた」声に聞こえる。
声というのは個人にとって心地よく感じる、または心地よくない、
色のようなものがある。
私にとってはもともとテノールとソプラノはひどく苦手だけれど、
彼の声は別だ。声そのものがもつ深さというか声調ともいう響きに
魅せられる。
これは、千の風とかもてはやされているテノールとなんともかけ離れている。
千の、、が聞こえてくるとテレビのチャンネルを変えずにいられない。
その歌手が良い悪いではなく声に対する生理的なものだろうか。
顔は変えることができても声質を変えることはほとんど出来ないだろう。
その意味で声は神に与えられた、本当の意味でのギフトだと思う。
ビリー・ホリデイの声も本来なら好きな部類ではない。私にとっては
あのキンキン声のどこが良いのかと思いかねないはずの声質なのだ。
最初に
聞いたとき、実際そう思った。I'll be seeing you.
でも2度目に聞いたら、耳をそらすことが出来なくなった。
その緊張感あふれる、それでいて退廃ムードに
満ちて半分投げ出しているような彼女の声、声調、声色、声質に
ひきこまれる。本来なら好きな声ではなかったのに、と今でも思う。
けれど不思議だ。魅せられて聞く。
「あの懐かしい街角で
あの小さなカフェで
、、、、、
あなたに会えるでしょう
美しい夏の日々
すべてが明るく輝くなかで
あなたに会うでしょう」
おなじみの懐かしい場所で、
あの小さなカフェで
、、、in that small cafe、、、と
歌うところでいつも胸をつかれる。
戦争に行った恋人を偲んでいるのだろうか、
ビリー・ホリデーの声は聞き手を深く詩の中に誘い込む。
Sammy Fain / Irving Kahal
I'll be seeing you
In all the old familiar places
That this heart of mine embraces
All day and through
In that small cafe
The park across the way
The children carrousel
The chestnut trees
The wishing well
I'll be seeing you
In every lovely summer's day
In everything that's light and gay
I'll always think of you that way
I'll find in the morning sun
And when the night is new
I'll be looking at the moon
But I'll be seeing you
I'll be seeing you
In every lovely summer's day
In everything that's light and gay
I'll always think of you that way
I'll find in the morning sun
And when the night is new
I'll be looking at the moon
But I'll be seeing you
Sunday, August 12, 2007
ハンス・コパーの美のかたち
ハンス・コパーが亡くなってから今年で26年。ハンス・コパーは
ルーシー・リーと工房を共にして、お互いに
多大な影響を与えあった希有なパートナー同士として知られる。
ルーシー・リーは工房にお客が来ると必ずハンス・コパーの作品を買わせようと
した、とアメリカの知人が言った。彼は晩年のルーシー・リーを何度も訪ねて
交流があったから本当のことだろう。
それでも自分はルーシー・リーの作品に魅せられていたので
ハンス・コパーの作品はルーシー・リーに勧められて
おつきあいの気持ちで買っただけ、あの当時、勧められるままに
買っていたら今頃ものすごい財産持ちだよ、と笑う。
私自身はもちろんルーシー・リーの作品は好きだ。彼女の作品には
見た瞬間に心を掴まれる。魅せられる。何度も何度も気になって立ち戻る、
その繊細さ、緊張感があふれていながら大らかさも感じさせる。
何種類かの色粘土がスパイラルに立ち上がった花生け。
口縁のゆらぎ。凜とした佇まいに心を揺さぶられる。
一方ハンス・コパーの作品はルーシー・リーが「彼は本物のアーティスト」と
人に紹介したように、彫刻ととらえられる。ハンス・コパー自身は花生けの
内部には茎が倒れないように2重の器を作り、実際にルーシー・リーの工房では
彼の器に花が生けられていたという。
しかしなんと言っても彼の創るかたちは余計な物をそぎ落とした、極限まで
考え抜かれた卓越した比率を持つ彫刻だ。マンガンで黒マットに
仕上げられたキクラデス形。カップ形の花生け。白い泥粧を塗っては削り
下のマンガンが茶色に現れた複雑な表情。大胆に切り込まれた線模様。
見れば見るほどいい。すばらしい。ジャコメッティを思わせる、いや
ジャコメッティは彫刻だが、ハンス・コパーのそれは彫刻でありながら
絵画的、詩的、歴史的、音楽的、哲学的。そして古い文化とモダンな感覚の
両方を内包している。
ルーシー・リーの作品は部屋のどこかに置いておきたい。
どこかから見ていて欲しい、と思う。
ハンス・コパーの作品は常に目の前にいて欲しい。いつまでも
こちらが見ていたい。
彼が生きていたら、今私たちが知っている以外にどんな作品を残しただろう。
ハンス・コパーの作品のかたちは常に「今在るかたち」から発展している。
必ずつながりがあり、「今在るかたち」のどこかが使われて
同じ線上にさらに発展したかたちが現れる。
だから彼のかたちの変貌を同じ地平線上に並べたら、まるで
日の出から黄昏にいたる太陽のように、かたちの連なりが見えるだろう。
彼が生きていたら、キクラデスの次に生まれるのは何だったのだろう。
Thursday, July 19, 2007
Virgin Atlanticのラウンジ
またVirgin Atlanticに乗る機会があった。
ヒースロー空港のラウンジ、クラブハウスは大幅な改装を経て
2005年夏に倍の広さになったと聞いていたがそのサービスたるや
全く見事だ。
まずcomplimentary massageを受けることができる。10分だけだが、
飛行機を待つ間、時間を予約する。私は肩のマッサージを頼んだ。
ヘアーサロンもサウナやジャグジーもある。
ソファにすわれば飲み物は何か良いか、食事は?と聞きに来る。
もちろんアルコールもあるし、簡単な暖かい食事もある。
なにしろその広さ。ハンモックがつってあり、中年の男性が乗って
ゆらゆらしながらラップトップで仕事をしている。サンドィッチの
カウンターもあり好きな具で好きなパンで作ってくれる。
同じく圧倒的な広さでリニューアルした成田のノースウェストのラウンジが
殺伐とした雰囲気なのとは対照的だ。まあ、ノースウェストの
ラウンジはどの空港でも同じ寒々とした空間だが。食事にしてもパックされた
乾き物が2,3種類おいてあるだけだ。空港に早めにいってリラックスしよう、
などとは思えないのがNWのラウンジだし、KLMにいたっては
アムステルダムのラウンジは床もソファもしみだらけ。ごみや食べ物が
落ちていたりする。不潔きわまりない。
ノースウェストのマイレッジに入っているのでヨーロッパに行くときは
KLMを使うことになるが、アムステルダムのラウンジにはとても
行く気がしない。
今回はロンドンまでヴァージン アトランティック航空を使うので
成田のラウンジでホットサンドイッチが食べられると楽しみにしていた。
成田ですらヴァージンアトランティックのラウンジは快適なのだ。
それが、、、、残念なことに成田のVirgin Atlanticラウンジは工事中で、
NWのラウンジを共有することになっていた。
出てきたのは冷凍庫から出したばかりの
(しかも5包みくらいしかでてこないので食べられたのはたまたまそばに
いた人だけだ)冷たいまずいサンドイッチ。いつもと同じノースウェストの
ラウンジなら早くくるのではなかった。
飛行機もVirgin Atlanticのアッパークラスはベッドが180度に倒れる。
他の飛行機ではいくらビジネスクラスといっても椅子はかなり倒れても
足が30度の角度でさがったきりなので非常に気持ちの悪い体勢になる。
まあ、飛行機に快適さを求めること自体無理な話かもしれないが。
食事はどこも似たり寄ったり。ビジネスクラスといってもまずさには
変わりない。エコノミーにいたってはまるで「エサ」という感じ。
エコノミークラスに乗るときは必ず日本からはおにぎりやサンドイッチ
を持って乗る。海外から乗る時はピザでも買って乗る。でなければ
食事をせずにひたすら眠る努力をする。
ヴァージン航空でヒースローから乗る時は早く行って空港で
ゆっくりすることにしよう。アッパークラスの予算がある時は、という
ことだけれど。
Tuesday, April 03, 2007
ハンス・コパーとバイオラ・フライ
Hans Coper, Speed Art Museum
Speed Art Museum
Viola Frey at Nancy Hoffman Gallery, New York
ハンス・コパーの作品が一点、スピードミュージアムの常設展にあった。
ヨーロッパ陶磁器のコレクションの中に。学芸の方に聞くと
ルーシー・リーも一点、展示はしていないがコレクションにあるという。
陶器に関して言えばほとんどがヨーロッパとアメリカのものだ。
バイオラ・フライのカラフルな女性が横たわっている。それをみて
どう思う?と一緒にいた西海岸の大学教授に聞かれる。
好き嫌いは別としてインパクトがある、と答えると
「でも、だから?大きければインパクトはある。でもこれだけ巨大な
人物像を作るには理由がなければいけないでしょう?
理由は何だろう。何も感じられない。何故大きいの?
何故これだけのボリュームが必要なの?」
バイオラ・フライの人物像は巨大でカラフルだ。しかし何故だろう、
おおらかな感じを受けない。開放的なあっけらかんとした雰囲気を受けない。
2004年にバイオラ・フライががんで亡くなった後
ニューヨークのナンシーホフマンギャラリー
(Nancy Hoffman Gallery)で展覧会が開かれた。そこで真っ白の
男女の人物像と同じく真っ白の大きなアンフォラが巨大な森のように
展示された。
2004年の作とあったから亡くなって色を塗ることが出来なかったのか
意図して白で作ったのか(たぶん前者だと思うがタイトルに
white manとあった。誰がつけたのだろう)、わからないが、
色のない作品群にはかえって魅力を感じた。
スピード・ミュージアムでは一つの空間にハンス・コパーの作品があり
その正面にフライのカラフルウーマンが横たわるという何とも乱暴な
展示だった。正直どちらかをしまえば良いのに、と思う。
ハンス・コパーとバイオラ・フライでは全く空気が違う。というより
同じ部屋に存在すると熟慮された展示と感じられなくなってしまう。
ここではこの展示室に限らずガラスと絵画と彫刻が一緒に展示されていた。
デトロイト美術館でもこういう空間があった。もっと違和感が少なかったが。
展示の仕方がこのような方向になりつつあるのだろうか。それとも
文化の違いなのかその美術館の学芸員の好みなのだろうか。
それにしても、、、。ハンス・コパーをバイオラ・フライと一緒に
しないで欲しい。
Speed Art Museum
Viola Frey at Nancy Hoffman Gallery, New York
ハンス・コパーの作品が一点、スピードミュージアムの常設展にあった。
ヨーロッパ陶磁器のコレクションの中に。学芸の方に聞くと
ルーシー・リーも一点、展示はしていないがコレクションにあるという。
陶器に関して言えばほとんどがヨーロッパとアメリカのものだ。
バイオラ・フライのカラフルな女性が横たわっている。それをみて
どう思う?と一緒にいた西海岸の大学教授に聞かれる。
好き嫌いは別としてインパクトがある、と答えると
「でも、だから?大きければインパクトはある。でもこれだけ巨大な
人物像を作るには理由がなければいけないでしょう?
理由は何だろう。何も感じられない。何故大きいの?
何故これだけのボリュームが必要なの?」
バイオラ・フライの人物像は巨大でカラフルだ。しかし何故だろう、
おおらかな感じを受けない。開放的なあっけらかんとした雰囲気を受けない。
2004年にバイオラ・フライががんで亡くなった後
ニューヨークのナンシーホフマンギャラリー
(Nancy Hoffman Gallery)で展覧会が開かれた。そこで真っ白の
男女の人物像と同じく真っ白の大きなアンフォラが巨大な森のように
展示された。
2004年の作とあったから亡くなって色を塗ることが出来なかったのか
意図して白で作ったのか(たぶん前者だと思うがタイトルに
white manとあった。誰がつけたのだろう)、わからないが、
色のない作品群にはかえって魅力を感じた。
スピード・ミュージアムでは一つの空間にハンス・コパーの作品があり
その正面にフライのカラフルウーマンが横たわるという何とも乱暴な
展示だった。正直どちらかをしまえば良いのに、と思う。
ハンス・コパーとバイオラ・フライでは全く空気が違う。というより
同じ部屋に存在すると熟慮された展示と感じられなくなってしまう。
ここではこの展示室に限らずガラスと絵画と彫刻が一緒に展示されていた。
デトロイト美術館でもこういう空間があった。もっと違和感が少なかったが。
展示の仕方がこのような方向になりつつあるのだろうか。それとも
文化の違いなのかその美術館の学芸員の好みなのだろうか。
それにしても、、、。ハンス・コパーをバイオラ・フライと一緒に
しないで欲しい。
Sunday, February 11, 2007
「わたしを離さないで」Never Let Me Go
カズオ・イシグロを読んだ。
「わたしを離さないで」Never Let Me Go
早い段階から繰り返し出てくるある言葉にとまどう。これは一体原語では
何という単語なのだろう。こんなおかしな訳語があるだろうか、、、と。
けれどそれがまさに的確で唯一の正しい訳語であることが次第にあきらかになる。
読み進むうち、切なくて切なくて胸をしめつけられる。作者の筆は決して
感情をあらわにしない。ただ静かに物事が進んでいく。それなのに
心が激しく揺さぶられる。まだ終わらないで欲しい、とひたすら願うが
最後に向かってたんたんとつづられる。その筆のあきれるばかりの見事さ。
タイトルにしても、Never Leave Me(行かないで)ではない。
Never Let Me Go(私を行かせないで、離さないで)のなんという巧みさ。
その一言が小説の全篇を要約している。
「わたしは一度だけ自分に空想を許しました。木の枝ではためいている
ビニールシートと、柵という海岸線に打ち上げられているごみのことを
考えました。半ば目を閉じ、この場所こそ、子供の頃から失いつづけてきた
すべてのものの打ち上げられる場所、と想像しました。
いま、そこに
立っています。待っていると、やがて地平線に小さな人の姿が現れ、
徐々に大きくなり、トミーになりました。トミーは手を振り、
わたしに呼びかけました、、、、。」
この、あくまでも抑制のきいた語り口の持っている何という激しさ。
ここまできて、最後に涙しない人はいないだろう。
この小説を読んだ後、何でもいい、同じ作者の書いたものを読まずに
いられなくなった。
かつて大きな話題を呼んだ「日の名残」(1989年)
を読む。ブッカー賞を受賞した作品だ。これもまた、すばらしい作品
だった。執事の日常、失ったもの、感情を抑えた、それ故に読み
終えたあと、しっとりと心に残る主人公の来し方。
与えられた役割の中で人はどのように生きるか、をはじめて思った。
そして与えられた役割を生きる、ということがそんなに悪いもの
でもない、と。どう生きるかは自分で選び取るもの、と思いこんでいた
私にとってひどく新鮮な、驚きに満ちた発見に思える。
今まで
そういう見方をしたことがなかったな、と思う。
改めて思う。”Never Let Me Go”の大きな意味を。行かせないで、
離さないで、しっかりとつかんでいて。抱きしめていて。
私をここに留めておいて。
存在自体のありようを。ありかたの意味を、思う。
Tuesday, January 23, 2007
Glitter and Doomメトロポリタン美術館
catalogue of the exhibition "Glitter and Doom"
Portrait of the Dancer Anita Berber, 1925
from the catalogue of the exhibition
ニューヨークのメトロポリタン美術館で開かれているGlitter and Doomを
見た。タイトルは栄光と破滅とでもいうニュアンスだろうか。
1920年代からのドイツのポートレートばかりを集めた展覧会で非常に
ショッキングな特異な時代を浮き彫りにしている。正確には1919-1933年の
ワイマール共和国時代のポートレートということになる。
この時代、フルトベングラーのベルリンフィルをあげるまでもなく文化や
科学面で多くの業績をみた。中でも表現主義、新即物主義ともいわれる
Otto Dixの作品(上の絵)は誇張された年齢を刻む娼婦のポートレートで
グロテスクを超えてやるせない暖かさを感じてしまう。
なんだか
ビリーホリデイの声が聞こえてくるような。
愛知県美術館にディックスの作品が多く所蔵されている。
再びグエン・ハンセン・ピゴット
at the Garth Clark Gallery, N.Y.
ニューヨークのセントラルパークにほど近いところに陶芸では一番
(ということは世界の陶芸界で一番という意味になるが)名の知られた
ギャラリーがある。 ガース・クラーク氏が経営するガース・クラーク
ギャラリー(Garth Clark Gallery)だ。
一月の半ば過ぎ、たまたまそこを訪れたらグエン・ハンセン・ピゴットの
展覧会をしていた。淡い色合いと作品をグループで展示するという
ピゴット特有の魅力ある展示だが、入ってすぐのコーナーに
彼女にはめずらしく幾分濃いブルーの器があるシリーズ(上の写真)があった。
ピゴットは意図して歴史や特定の文化を彷彿させるような釉薬や形を
排除している。だから雰囲気は似ていても青磁釉は使わないし、また
高台も作らない。実際に淡い色調の釉薬を使ってはいるが、受ける印象は
まるで無色透明の、透き通るような磁器だ。
ピゴットはオーストラリアの作家だが、長くロンドンやパリで過ごしている。
静寂な佇まいがルーシー・リーの作品を思わせる、と感じていたら資料を
読むと実際にセント・アイヴスでバーナード・リーチの指導を受け、後に
ルーシー・リーが教えていたキャンバーウェルでクラスをとっている。
リーチの影響を色濃く現す初期の作品からその後ルーシー・リーを思わせる
薄い器に変化していく過程がはっきりと見て取れておもしろい。
ギャラリーの壁に、今スミソニアンでもピゴットの作品展が開かれている
とあった。連絡をとってみるとスミソニアンで開催されているのは
スミソニアンの所蔵品であるアジアの古陶器をピゴットが配置インストールした
興味深い展覧会のようだ。彼女自身の作品展はワシントンのオーストラリア
大使館で展示されていると案内にでていたがHPには記載がなかった。
Wednesday, January 10, 2007
Camille Claudel & Rodin - Fateful Encounter
2006年2月
カミーユ・クローデルとロダン
カナダのケベック州からデトロイトに巡回した「カミーユ・クローデルと
ロダン展」にやっと間に合った。なかなか時間がとれないでいたが、思い切って
デトロイトに飛ぶ。
スーパーボールと重なってホテルがとれず、対岸のカナダ、
ウィンザーに泊まることにした。2日間デトロイトの美術館まで往復し、
そのたびにパスポートチェックがあるので少々不便だが、トンネルで国境を渡る
バスもありデトロイト側でタクシーに乗ればよい。
デトロイト美術館は65,000点を所蔵すると言われる全米屈指の美術館だが
この展覧会はその特別企画室が入場制限になる人気の企画だ。2時間後の
入場券を購入し、ブラブラと常設展を見る。
二人のアーティストの出会いと別れ。共に制作を行った10年間の作品
別れた後の作品、また二人の拮抗し合うアイディアと技術を存分に堪能できた
展覧会だった。
130余点の作品と50点にのぼる手紙や図書類がほぼ年代を追って展示され、
どの作品がどのように生まれ、二人の関係とともにどのように変化をとげたか
またお互いの作品がどのように影響を与え合ったかが非常にわかりやすい展示だ。
それを助けたのはすべての観客に入り口で渡されるオーディオである。
作品の番号を入力するとその作品とそれに連なる展示作品の説明が非常に
わかりやすく解説される。例えば一つの作品の説明に終わらず、
「この作品の先にある同じ主題のブロンズはこれが作られた6年後に制作され
ました。ブロンズでは膝まづく女性の手は男性の手にもはやふれていません。
クローデルが、ロダンと結婚の望みがないと知った後の作品です」という具合に。
展示も解説も非常に流れがスムーズで、観客はクローデルとロダンという二人の
大きな物語をたどる旅をしているようだ。物語性の強い作品群に圧倒される。
けれど、驚きは最後の部屋の何気ない写真で新たなものになる。
殺風景な建物の前に立つ年老いた女性が笑みを浮かべている。健康的な
微笑みではない。明るい笑顔ではない。疲れた、仕方なく、とまどって
微笑んでいるような。それが精神病患者保護施設での晩年のカミーユだ。
かつての繊細で研ぎ澄まされた鋭敏な少女の面影は全くない。
隣に同じく晩年のロダンの写真がある。隣に立つのはロダンが一時期を
のぞいて終生連れ添った老妻の姿だ。
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