Monday, February 23, 2009

金子光晴の「洗面器」

放浪の詩人、と言われる金子光晴にこんな詩がある。  

洗面器のなかの  さびしい音よ。  
くれてゆく岬(タンジョン)の  雨の碇泊(とまり)。  
ゆれて、  傾いて、  疲れたこころに  
いつまでもはなれぬひびきよ。  
人の生のつづくかぎり  耳よ。おぬしは聴くべし。  
洗面器のなかの  音のさびしさを。 

 寂しくうらぶれているのに、どこか甘美な響きがする。 思わず繰り返したくなる言葉のリズム。 寂しいけれど甘いにおい。 暗いけれど宵闇ではなく夜明け。 暗い海の波と港の人間の生活のにおい。ジャワの。 詩の前に括弧書きがある。 

 「僕は長年のあひだ、洗面器といふうつはは、
 僕たちが顔や手を洗ふのに湯、水を入れるものとばかり思って いた。
ところが、、、(中略)、、、、などを煮込んだ カレー汁をなみなみとたたへて、、
(中略)、、、、その 同じ洗面器にまたがって広東の 女たちは、、
(中略)、、、、しゃぼりしゃぼりとさびしい音を 立てて尿(いばり)をする。」 

 これを読んで突然目の前に人間の営みの匂いや音や暗闇が 見えてくる気がする。

Saturday, February 14, 2009

三宅一生氏「うつわ展」

21_21ホームページより 21_21のデザインサイトでルーシー・リー、ジェニファー・リー、 木工のエルンスト・ガンペールの3人展が開かれている。 

 私の見たいのはやっぱりルーシー・リー。1989年の草月会館 と同じ安藤忠雄氏の会場構成で水に浮かぶ作品群は限りなく 静かで美しい。でも本当は当時と異なる展示を期待していたので (どんな見せ方をするのだろう、と)ちょっと残念。

 けれどやはりルーシー・リーの器はとても水に馴染む。 うつわの遠景とシルエットが心に刻まれる。 ふと、これがジェニファー・リーでなくて ハンス・コパーのうつわだったら、と想像してみる。 やっぱりどうしたって、ルーシー・リーとハンス・コパーでしょう。 対峙させるなら。

 対峙でなく、共にならべるとしたらなお一層ハンス・コパーでしょう。 どんなに美しく豊かな空間が生まれることだろう、と思う。 展示の中のルーシー・リーの器に、ハンス・コパーかと思わず 目をこらした作品があった。表情といい、形といい、テクスチャーが ハンス・コパーのサックフォームを思わせる。

こういう作品も あったんだ、とあらためて思う。 ルーシー・リー作品のコレクター、デイビッド・アッテンボロー卿が、 

 (今も)オークションなどで、かつて見たことのない釉薬、形の作品に 出会う。
それでいて見た瞬間にまがいもなくそれがルーシー・リーの 手になる物だとわかる。

 と言っている。

直感する、と言って良いだろう。一瞬でそれが彼女の 作品だ、と感じてしまう。
心に入り込む。理屈ではない。 20世紀に生まれてルーシー・リーとハンス・コパールーの作品に 出会えた幸せ。それを見ることのできる幸せ。 

 私はコレクターではないし、所有したいとは思わない。もちろん 今は大変高価な作品だから買えるわけもないけれど。ただ、 もし豊かであったとしても、買って飾って見ていたいという 欲はほとんどない(全くない、と言わないところが自分でも 不本意なのだけど)。

 本を開いて、ルーシー・リーの作品を見る。ハンス・コパーの キクラデス・フォルムを見る。床に寝そべってパラパラと 本をめくる時間の幸せ。  

Wednesday, February 04, 2009

報道写真考「ふたたび「少女とハゲワシ」

というか。私はこの少女とハゲワシの構図を美しいと思い、 そういう自分の捉え方に恐れおののいたのだ。

 カメラを捨てて何故少女を助けなかったか、というごくまっとうな 非難に、私もまた次元のことなる出来事のように 切迫感を持たないでいた。

少女が危険な状態であったらこの写真は なかっただろう、という漠然とした思いがあった。 

 ハゲワシの危険より、生涯の大半を 飢餓の状態で過ごしてきたであろう少女の 取り返せない時間を思った。

 そしてフォトグラファーが死んだという報道に、 非難の声と、さらに(私も含めた)もの言わぬ多数の人たちに 立ち向かえなかったケビン・カーターの繊細さを思った。

 「私 は祈りたいと思った。神様に話を聞いて欲しかった。 このような場所から私を連れ出し、 人生を変えてくれるようにと。」

という彼の告白は なんとまともで、なんと強烈に響くことだろう。

Tuesday, February 03, 2009

ハゲワシと少女、アフリカにて

14,5年も前になるだろうか。アフリカスーダンで女の子が くずれるようにしゃがんでいる。その後ろに大きなハゲワシが 襲いかかろうとしている写真がニューヨークタイムズに発表された。 

 カメラマンはピュリッアー賞を獲得し一躍有名になったが 報道か救命か、何故少女を助けなかったかと非難され 後に自殺した、と記憶している。

誰もがその後少女は どうなったか、ハゲワシの餌食になったのでは、という 想像を誘ったからだ。 長いことあの真相はどうだったのだろうか、カメラマンは何故 自殺したのだろう、と心にひっかかっていた。 

 同じ思いを持ち続けた人がいたとみえてこの前後のいきさつを 紹介しているブログを見つけた。Ameharaと名乗る人の 「あるカメラマンの死」という引用テクストだ。 『絵はがきにされた少年』 藤原章生 集英社 「第一章 あるカメラマンの死」から、とある。 

 それによると、この写真の撮影時、母親はそばにいて 国連の配給食料を得ることに夢中になっていたらしい。 荒野の真ん中にぽつんと少女と鷲がいると思いこんでいたけれど まわりには人が沢山いたという。

そしてこの写真が撮られたあと 少女は立ち上がって歩き出したという。 この写真を撮ったケビン・カーターの自殺の真相はわからない。 けれど、ピュリッアー賞を取った3ヶ月後、彼はヨハネスブルグ 郊外で車に排ガスを引き込んで自殺した。

 遺書には友人の名と別れた妻の名、電話番号、そして 一緒に撮影現場に行った彼の友人ジョアオ・シルバを指して 「言葉に出来ないほど彼が好きだ」と小さな字で記されていた いたという。

 彼自身の告白が残されている。 「この(写真を撮った)後、とてもすさんだ気持ちになり、 複雑な感情が沸き起った。フォト・ジャ-ナリストとして ものすごい写真を撮影したと感じていた。この写真はきっと 多くの人にインパクトを与えると確信した。 写真を撮った瞬間はとても気持ちが高ぶっていたが、 少女が歩き始めると、また、あんたんたる気持ちになった。

 私 は祈りたいと思った。神様に話を聞いて欲しかった。 このような場所から私を連れ出し、人生を変えてくれるようにと。

 木陰まで行き、泣き始めた。、、、、」 (NHK教育「メディアは今―人命か報道優先か・ピュリツアー賞・ 写真論争―」94・6・30放送) 「Amehare」さん引用集より。 

 このテクストは2008年12月13日付になっている。何とも15年も経って 同じ頃に同じようなことに関心を持って掘り起こしたひとがいるのだ。 

『絵はがきにされた少年』 藤原章生 集英社 「第一章 あるカメラマンの死」を私も読んでみよう。 これは報道カメラマンの倫理を問う論争にも繋がった センセーショナルな写真であり、またそのカメラマンの死が それを一層印象を強くした出来事だった。

 けれどやはりこれも今橋映子氏の指摘した「(美しい)棘」と言える のではないか。背景を理解しないままにカメラマンを非難した人々も そしてこの今こうやって15年を経てあの事件の真相、 写真の背景を知りたいと思う私も、あのショッキングな写真のもつ 棘故なのだと思う。

Monday, February 02, 2009

今橋映子著フォト・リテラシー

報道写真が好きだ。好きだけれど、魅せられるけれど何かがいつも 心にくすぶって重い澱のように残ったままでいる。

 魅せられる自分がいるのにそういう自分にうしろめたさを感じ 悲惨な現場を美しいと感じる自分に反発を感じていた。 それを言葉に出来ないでいた。 

 今橋映子はその著書、「フォト・リテラシー」の中で、彼女もまた スーザン・ソンタグの「他者への苦痛のまなざし」から言葉を 紡いでそれが何で何故なのかを解いてみせている。

 美しいと感じる自分に後ろめたさを見る自分。
その事に対して 写真は「美しい棘」に成り得る。

逆には優れた報道写真 ー決定的瞬間に限らず、
対象の選択と技法が、明確な 思考あるいは正確な取材に裏付けられ、
しかも対象への 共感を失わない写真 ーこそが、歴史と人間の様態を、
記憶の断片として定着し得るとすら言える。 

 という。

そしてそれが「思考の契機としての写真」を肯定する。 
であるなら、悲惨さに美を感じてうしろめたさを抱くことにすら 
意味があるということだろう。 

 なんとも深い思考に裏打ちされた写真の「読み方」でなんと 
優れた本だろう。 

 それにしても今橋映子さんってすごい才能だ。

みたびルーシー・リー展

3月13日からルーシー・リー展が開かれる。ミッドタウンの 21_21デザインミュージアムだ。

なんとタイムリーなことに テレビ東京の「美の巨人」でルーシー・リーを取り上げる という。もちろん三宅一生さんの一声だろう。

 驚くほど若い人たちがルーシー・リーの名前を知っている。 感性が合えば権威も歴史も関係ないという若い人特有の 柔軟さがルーシー・リーとその器をファッションと同じ感覚で 捕らえている。 

 この秋にはルーシー・リーと工房を共にし、後に工房を フルームに移してからも終生変わらない友情を分かち合った ハンス・コパーの展覧会も開かれるという。 

 来年もまた国立新美術館でルーシー・リー展が開かれるなど、 ルーシー・リー、ハンス・コパーがいかに人々を 惹きつけて止まないかをあらためて思う。 

 そうそう、銀座のみちばという懐石レストランでも身近に ルーシー・リー作品を見ることが出来る。新宿の京王デパート でも先週だったかルーシー・リー展をしていた。 

 ルーシー・リーという人の頑固な生き方は女性達に(というか 男性にも、かな)大きな勇気をくれる。ただひたすら 好きな物を創り続けることへの勇気。

 そしてルーシー・リーとハンス・コパーとの親愛は まるで自分にとってもひたすら大切な宝物のように思えてくる。