一枚の写真がある。長身のおだやかな顔をした年配の、といっても恐らく
50代の男性。その横にはにかむように立つ長身のほっそりした若い女性。
二人のさわやかな笑顔。暖かい雰囲気が二人を包み、お互いの心からの
信頼が伝わって来る。何故か心に残る写真。
2005年暮れにNHKの番組でクリニクラウンとして紹介された女性と
その父親の写真だ。何故このような美しい表情が可能なのだろう。父親は
がんで亡くなったという。残された娘が病院で過ごす子供達に笑顔を
見たい、とクラウンになる、という映像だった。
父親ががんで亡くなる前に撮った写真。限られた時間ということを
知ってのふたりの穏やかな表情なのだろうか。残された時間を愛おしむ心が
二人のこの寄り添いあう暖かい瞬間を記録したのだろうか、、、と思い描き、
突然いや、違う、と悟る。
病気になったことでこのすてきな雰囲気の写真が残されたのではない。
それまでの、生きて来た二人の年月がそのまま表わされているだけ。
病気になったからではなくそれまでのずっと長い間、父と娘はこのような
すばらしいきずなを保ってきたのだ。生きて来た時間、心から信頼しあう
時を過ごしてきた親子なのだ、と悟る。でなければこのような表情は
生まれない。そうやって自然に寄り添った姿が美しい。
一枚の写真がすべてを語る、そんな父と娘(もちろん写真の男性の妻であり
娘の母である女性も同じようにすてきな関係なのだろう)の心に残る
写真だった。
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