Tuesday, January 23, 2007

Glitter and Doomメトロポリタン美術館

                catalogue of the exhibition "Glitter and Doom"                 Portrait of the Dancer Anita Berber, 1925                   from the catalogue of the exhibition ニューヨークのメトロポリタン美術館で開かれているGlitter and Doomを 見た。タイトルは栄光と破滅とでもいうニュアンスだろうか。 1920年代からのドイツのポートレートばかりを集めた展覧会で非常に ショッキングな特異な時代を浮き彫りにしている。正確には1919-1933年の ワイマール共和国時代のポートレートということになる。 

 この時代、フルトベングラーのベルリンフィルをあげるまでもなく文化や 科学面で多くの業績をみた。中でも表現主義、新即物主義ともいわれる Otto Dixの作品(上の絵)は誇張された年齢を刻む娼婦のポートレートで グロテスクを超えてやるせない暖かさを感じてしまう。

なんだか ビリーホリデイの声が聞こえてくるような。 愛知県美術館にディックスの作品が多く所蔵されている。

再びグエン・ハンセン・ピゴット



at the Garth Clark Gallery, N.Y.


ニューヨークのセントラルパークにほど近いところに陶芸では一番
(ということは世界の陶芸界で一番という意味になるが)名の知られた
ギャラリーがある。 ガース・クラーク氏が経営するガース・クラーク
ギャラリー
(Garth Clark Gallery)だ。

一月の半ば過ぎ、たまたまそこを訪れたらグエン・ハンセン・ピゴットの
展覧会をしていた。淡い色合いと作品をグループで展示するという
ピゴット特有の魅力ある展示だが、入ってすぐのコーナーに
彼女にはめずらしく幾分濃いブルーの器があるシリーズ(上の写真)があった。

ピゴットは意図して歴史や特定の文化を彷彿させるような釉薬や形を
排除している。だから雰囲気は似ていても青磁釉は使わないし、また
高台も作らない。実際に淡い色調の釉薬を使ってはいるが、受ける印象は
まるで無色透明の、透き通るような磁器だ。

ピゴットはオーストラリアの作家だが、長くロンドンやパリで過ごしている。
静寂な佇まいがルーシー・リーの作品を思わせる、と感じていたら資料を
読むと実際にセント・アイヴスでバーナード・リーチの指導を受け、後に
ルーシー・リーが教えていたキャンバーウェルでクラスをとっている。
リーチの影響を色濃く現す初期の作品からその後ルーシー・リーを思わせる
薄い器に変化していく過程がはっきりと見て取れておもしろい。

ギャラリーの壁に、今スミソニアンでもピゴットの作品展が開かれている
とあった。連絡をとってみるとスミソニアンで開催されているのは
スミソニアンの所蔵品であるアジアの古陶器をピゴットが配置インストールした
興味深い展覧会のようだ。彼女自身の作品展はワシントンのオーストラリア
大使館で展示されていると案内にでていたがHPには記載がなかった。

Wednesday, January 10, 2007

Camille Claudel & Rodin - Fateful Encounter


2006年2月

カミーユ・クローデルとロダン

カナダのケベック州からデトロイトに巡回した「カミーユ・クローデルと
ロダン展」にやっと間に合った。なかなか時間がとれないでいたが、思い切って
デトロイトに飛ぶ。

スーパーボールと重なってホテルがとれず、対岸のカナダ、
ウィンザーに泊まることにした。2日間デトロイトの美術館まで往復し、
そのたびにパスポートチェックがあるので少々不便だが、トンネルで国境を渡る
バスもありデトロイト側でタクシーに乗ればよい。

デトロイト美術館は65,000点を所蔵すると言われる全米屈指の美術館だが
この展覧会はその特別企画室が入場制限になる人気の企画だ。2時間後の
入場券を購入し、ブラブラと常設展を見る。

二人のアーティストの出会いと別れ。共に制作を行った10年間の作品
別れた後の作品、また二人の拮抗し合うアイディアと技術を存分に堪能できた
展覧会だった。


130余点の作品と50点にのぼる手紙や図書類がほぼ年代を追って展示され、
どの作品がどのように生まれ、二人の関係とともにどのように変化をとげたか
またお互いの作品がどのように影響を与え合ったかが非常にわかりやすい展示だ。

それを助けたのはすべての観客に入り口で渡されるオーディオである。
作品の番号を入力するとその作品とそれに連なる展示作品の説明が非常に
わかりやすく解説される。例えば一つの作品の説明に終わらず、
「この作品の先にある同じ主題のブロンズはこれが作られた6年後に制作され
ました。ブロンズでは膝まづく女性の手は男性の手にもはやふれていません。
クローデルが、ロダンと結婚の望みがないと知った後の作品です」という具合に。

展示も解説も非常に流れがスムーズで、観客はクローデルとロダンという二人の
大きな物語をたどる旅をしているようだ。物語性の強い作品群に圧倒される。
けれど、驚きは最後の部屋の何気ない写真で新たなものになる。

殺風景な建物の前に立つ年老いた女性が笑みを浮かべている。健康的な
微笑みではない。明るい笑顔ではない。疲れた、仕方なく、とまどって
微笑んでいるような。それが精神病患者保護施設での晩年のカミーユだ。
かつての繊細で研ぎ澄まされた鋭敏な少女の面影は全くない。

隣に同じく晩年のロダンの写真がある。隣に立つのはロダンが一時期を
のぞいて終生連れ添った老妻の姿だ。