パバロッティが亡くなった。
彼の声は「明るい、元気のでるような」と誰かが書いていたが、
私にとって彼の声は空を突き抜けてどこまでも届くような明瞭な、
けれど元気の出るようなというより心をゆさぶられるような、
というように響く。
「明るい」というよりむしろ「哀愁をおびた」声に聞こえる。
声というのは個人にとって心地よく感じる、または心地よくない、
色のようなものがある。
私にとってはもともとテノールとソプラノはひどく苦手だけれど、
彼の声は別だ。声そのものがもつ深さというか声調ともいう響きに
魅せられる。
これは、千の風とかもてはやされているテノールとなんともかけ離れている。
千の、、が聞こえてくるとテレビのチャンネルを変えずにいられない。
その歌手が良い悪いではなく声に対する生理的なものだろうか。
顔は変えることができても声質を変えることはほとんど出来ないだろう。
その意味で声は神に与えられた、本当の意味でのギフトだと思う。
ビリー・ホリデイの声も本来なら好きな部類ではない。私にとっては
あのキンキン声のどこが良いのかと思いかねないはずの声質なのだ。
その緊張感あふれる、それでいて退廃ムードに
満ちて半分投げ出しているような彼女の声、声調、声色、声質に
ひきこまれる。本来なら好きな声ではなかったのに、と今でも思う。
けれど不思議だ。魅せられて聞く。
「あの懐かしい街角で
あの小さなカフェで
、、、、、
あなたに会えるでしょう
美しい夏の日々
すべてが明るく輝くなかで
あなたに会うでしょう」
おなじみの懐かしい場所で、
あの小さなカフェで
、、、in that small cafe、、、と
歌うところでいつも胸をつかれる。
戦争に行った恋人を偲んでいるのだろうか、
ビリー・ホリデーの声は聞き手を深く詩の中に誘い込む。
Sammy Fain / Irving Kahal
I'll be seeing you
In all the old familiar places
That this heart of mine embraces
All day and through
In that small cafe
The park across the way
The children carrousel
The chestnut trees
The wishing well
I'll be seeing you
In every lovely summer's day
In everything that's light and gay
I'll always think of you that way
I'll find in the morning sun
And when the night is new
I'll be looking at the moon
But I'll be seeing you
I'll be seeing you
In every lovely summer's day
In everything that's light and gay
I'll always think of you that way
I'll find in the morning sun
And when the night is new
I'll be looking at the moon
But I'll be seeing you