Sunday, September 16, 2007

桂 銀淑の声 - 「都会の天使たち」

何年かアメリカでくらして日本に帰ってきた頃。ふと聞こえてきた歌の声に 心がくぎづけになった。

ハスキーなというよりしゃがれているという表現の ほうがあたっているような太い女性の声。 かなり以前テレビではやったドラマの主題曲という。 なんとかユンシュクという韓国の歌手、と友人に教わり紀伊国屋の2階にある レコードショップへいく。 なんとかユンシュクという、、、と聞いたらすぐにその歌手のコーナーに 案内してくれる。

なんだ、聞けばすぐわかるくらい有名な歌手だったんだ。 「堀内孝雄ベスト・ソング集」デュエット:桂銀淑。 そう、この声だ。 演歌は歌詞が陳腐のうなり節。と思いこんでいた(はて、これは演歌では ないのだったか?)。まあ分類はどうでもいい。でも陳腐と思いこんでいた そんな種類の歌でこんな声に出会えた。 

 しかも歌詞までなかなかいい。 
 「瞳を閉じれば 幼い昔へ 誰でも帰れる せめて愛する人が 隣にいたら 夢の中まで 連れていけるはず、、、」 

 思わず引き込まれる声との出会いはほとんど瞬間的だ。 堀内孝雄の 
「この都会に 眠りの天使たちが」 に続いて 「遊びに疲れて」と彼女の声が聞こえるとき思わず全神経を研ぎ澄ましてしまう。 やはり心を震わせる声というのは受け手の生理的なものだろう。 

顔かたちや性格、しぐさ、笑い方、話し方、その人の持つ空気。 これらはたったひとつを取り上げてその人の全体を判断することはない。 けれど、声は瞬時に身体が拒絶したり受け入れたりする。 桂銀淑の声は心をとらえて離さない。もっと聞きたい、といつも思う。 さびれた声。しゃがれた声。低く太い声。 

「苦手なはずなのに例外」ではなく、彼女の声はまさに私が大好きな、 心を魅了してやまないハスキーボイスだ。

テレサ・テンの透明感あふれる声

高い声、細い声、いわゆるきれいな声、は苦手だ。 

私のベクトルの中で最も苦手なのは高く細い声。 
 パバロッティの声は「高い太い」で、苦手な中の例外だ。 彼の声は、私にとっては声そのものがそういった分類にあてはまらない 魅力にあふれる声質と言える。 

 テレサ・テンの声もベクトルでいえば苦手の部類なのだけれど、これも例外。 透明感にあふれている。苦手の最王手、森山なんとかというフォーク歌手の 声や姉妹で童謡を歌っていた歌手の高い声と決定的に違うのは声の質としか いいようがない。もちろん、私にとっては、ということだ。 

 テレサ・テンの声には味わいというか、透明感の中に ふと心をすくわれるような声質がある。ちらりと見せるだけなのだが、 「哀」を感じさせる声の色が発声の瞬間にある。

 でも彼女の歌の中には陳腐な歌詞もある。明らかに、男が女にこうあって 欲しいという願望から男の作詞家によって書かれたのだろうと 思うような。 

 「貴方の色にそまりたい、、」とか「貴方の胸できれいになれた、それだけで もう命さえいらないわ、、」とか。 

 こんな言葉を歌っていながら ことばのすみずみまでていねいに発音した実にきれいな発声をしているな と思いながら聞いている。

ビリー・ホリデイの歌・詩

I'll be seeing you. の訳を「貴方に会えるでしょう」 と書いた。

 直訳すれば「貴方を見かけるでしょう」「貴方を想像するでしょう」 となるだろう。

 けれど亡くなった(または戦争でもどらない)恋人を偲び、 思い出の場所場所で貴方を想像してしまう、そこに貴方を見る、 貴方を見かけるわ、、、。 やっぱり、会える、ではなく見る、かな。 

 「いつもの街角で、いつものあの小さなカフェで、 貴方を見かけるでしょう。 これからも。 そんな風に貴方を想うの。」

 I'll be seeing you In all the old familiar places、、、 

 ビリー・ホリデイの声と詩とメロディーとが 完璧に解け合って、おおげさに言えばひとつの時代を語っていると思う。

Friday, September 14, 2007

パバロッティとビリー・ホリデイ

パバロッティが亡くなった。 彼の声は「明るい、元気のでるような」と誰かが書いていたが、 私にとって彼の声は空を突き抜けてどこまでも届くような明瞭な、 けれど元気の出るようなというより心をゆさぶられるような、 というように響く。

 「明るい」というよりむしろ「哀愁をおびた」声に聞こえる。 声というのは個人にとって心地よく感じる、または心地よくない、 色のようなものがある。 私にとってはもともとテノールとソプラノはひどく苦手だけれど、 彼の声は別だ。声そのものがもつ深さというか声調ともいう響きに 魅せられる。 

 これは、千の風とかもてはやされているテノールとなんともかけ離れている。 千の、、が聞こえてくるとテレビのチャンネルを変えずにいられない。 その歌手が良い悪いではなく声に対する生理的なものだろうか。

 顔は変えることができても声質を変えることはほとんど出来ないだろう。 その意味で声は神に与えられた、本当の意味でのギフトだと思う。

 ビリー・ホリデイの声も本来なら好きな部類ではない。私にとっては あのキンキン声のどこが良いのかと思いかねないはずの声質なのだ。

最初に 聞いたとき、実際そう思った。I'll be seeing you. でも2度目に聞いたら、耳をそらすことが出来なくなった。 

その緊張感あふれる、それでいて退廃ムードに 満ちて半分投げ出しているような彼女の声、声調、声色、声質に ひきこまれる。本来なら好きな声ではなかったのに、と今でも思う。 けれど不思議だ。魅せられて聞く。 

 「あの懐かしい街角で  あの小さなカフェで  、、、、、   あなたに会えるでしょう  美しい夏の日々  すべてが明るく輝くなかで  あなたに会うでしょう」 

 おなじみの懐かしい場所で、 あの小さなカフェで 、、、in that small cafe、、、と 歌うところでいつも胸をつかれる。 

戦争に行った恋人を偲んでいるのだろうか、 ビリー・ホリデーの声は聞き手を深く詩の中に誘い込む。

 Sammy Fain / Irving Kahal 

 I'll be seeing you In all the old familiar places 
That this heart of mine embraces 
All day and through In that small cafe 
The park across the way 
The children carrousel 
The chestnut trees 
The wishing well 
 I'll be seeing you In every lovely summer's day 
In everything that's light and gay I'll always think of you that way
 I'll find in the morning sun And when the night is new
 I'll be looking at the moon But I'll be seeing you 
 I'll be seeing you In every lovely summer's day 
In everything that's light and gay I'll always think of you that way 
 I'll find in the morning sun And when the night is new 
I'll be looking at the moon But I'll be seeing you