Sunday, February 11, 2007

「わたしを離さないで」Never Let Me Go

カズオ・イシグロを読んだ。

「わたしを離さないで」Never Let Me Go 早い段階から繰り返し出てくるある言葉にとまどう。これは一体原語では 何という単語なのだろう。こんなおかしな訳語があるだろうか、、、と。

 けれどそれがまさに的確で唯一の正しい訳語であることが次第にあきらかになる。 読み進むうち、切なくて切なくて胸をしめつけられる。作者の筆は決して 感情をあらわにしない。ただ静かに物事が進んでいく。それなのに 心が激しく揺さぶられる。まだ終わらないで欲しい、とひたすら願うが 最後に向かってたんたんとつづられる。その筆のあきれるばかりの見事さ。 

 タイトルにしても、Never Leave Me(行かないで)ではない。 Never Let Me Go(私を行かせないで、離さないで)のなんという巧みさ。 その一言が小説の全篇を要約している。

 「わたしは一度だけ自分に空想を許しました。木の枝ではためいている ビニールシートと、柵という海岸線に打ち上げられているごみのことを 考えました。半ば目を閉じ、この場所こそ、子供の頃から失いつづけてきた すべてのものの打ち上げられる場所、と想像しました。

いま、そこに 立っています。待っていると、やがて地平線に小さな人の姿が現れ、 徐々に大きくなり、トミーになりました。トミーは手を振り、 わたしに呼びかけました、、、、。」

 この、あくまでも抑制のきいた語り口の持っている何という激しさ。 ここまできて、最後に涙しない人はいないだろう。 この小説を読んだ後、何でもいい、同じ作者の書いたものを読まずに いられなくなった。

かつて大きな話題を呼んだ「日の名残」(1989年) を読む。ブッカー賞を受賞した作品だ。これもまた、すばらしい作品 だった。執事の日常、失ったもの、感情を抑えた、それ故に読み 終えたあと、しっとりと心に残る主人公の来し方。 与えられた役割の中で人はどのように生きるか、をはじめて思った。

 そして与えられた役割を生きる、ということがそんなに悪いもの でもない、と。どう生きるかは自分で選び取るもの、と思いこんでいた 私にとってひどく新鮮な、驚きに満ちた発見に思える。

今まで そういう見方をしたことがなかったな、と思う。 改めて思う。”Never Let Me Go”の大きな意味を。行かせないで、 離さないで、しっかりとつかんでいて。抱きしめていて。 私をここに留めておいて。 存在自体のありようを。ありかたの意味を、思う。